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海と山を結blog☆


山は海に流れ流れて、海は山に降りそそぐ。全てのいのちはめぐりめぐる。
by kohtaboy_gabihan
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8月15日と6月23日 前編

 今日、8月15日は、アジア太平洋戦争の終戦記念日です。全国各地で慰霊祭が行われ、多くの人々が先の戦争に思いをめぐらす日です。

 一般に、8月15日は「終戦の日」と思われていますが、実際には、この日は昭和天皇がラジオ放送を通じて、敗戦を知らせた「敗戦の日」です。

 では、正式な「終戦の日」はいつかというと、アメリカ軍艦の艦上で降伏文書の調印式が行われた9月2日です。

 しかしながら、沖縄での終戦はもっと早く6月23日です。なので、沖縄では6月23日を、「沖縄戦終戦の日」、「慰霊の日」として、県内各地で慰霊祭が行われます。

 僕がこのブログを開設したのも6月23日で、一番最初の記事で、沖縄の慰霊の日のことについて少し触れました。

 そこで、今日はその日のことについて、もう少し詳しく書きたいと思います。

 慰霊の日の2日前の6月21日に、辺野古のテント村で企画した平和ツアーに参加しました。テーマは、「慰霊塔の碑文から何を学ぶべきか」ということで、沖縄本島南部の慰霊塔を巡りました。

 まず、最初に行ったのは、摩文仁(まぶに)の丘で、そこには沖縄戦を指揮した牛島中将らを祀った黎明の塔や、各県ごとの兵士の慰霊塔があります。それらの慰霊塔の碑文を読むと、ほとんどは「祖国のためによく戦った」という意味のことが書かれており、犠牲になった沖縄の人々について書かれてあるのは、1つか2つくらいしかありませんでした。

 中には、「戦後の日本が繁栄したのは、祖国のために戦った兵士達のおかげだ」という、戦死を賞賛・美化してしまうような碑文まであり、驚愕しました。

 アジア太平洋戦争を体験した誰もが、「二度と戦争は起こしたくない」という思いで慰霊塔を作り、戦争の犠牲になった人達の冥福を祈った/祈っているはずなのに、それらの碑文をよく読むと、あの戦争への反省がないどころか、また新たな戦争を引き起こしてしまうような内容が書かれている碑文があることに驚き、やるせなくなりました。

 その後、何ヵ所か別の慰霊塔を見てまわった後で、最後に平和祈念公園にある平和の礎に行きました。平和の礎には、敵・味方、加害者・被害者の別なく、24万人以上の戦没者の名前が刻まれています。

 ちょうどその日は、慰霊の日の前の日曜日ということもあって、多くの人が慰霊に訪れていました。

 そこで、平和ツアーに参加した人達は、1人か2人に分かれて、慰霊に来ている人達に聞き取り調査を行いました。

 はじめに、ツアーガイドのおじさんが、聞き取りの方法を教えてくれました。まず、慰霊をしている人の斜め後ろぐらいに行って、「どの方が亡くなられたんですか?」と聞き、その後は「どういう方だったんですか?」というように、亡くなられた方について聞いていけば、いろいろと話してくれるということでした。

 僕は、戦争の傷を負っている人達に対し、いろいろと聞くというのは、さらにその人達の傷口を広げてしまうことになるんじゃないかと思い、あまり乗り気ではありませんでしたが、ツアーに参加していた大学生と一緒に聞き取り調査をしてみました。

 後編に続く・・・
8月15日と6月23日 前編_a0131573_15143418.jpg

 摩文仁の丘から臨む海

by kohtaboy_gabihan | 2009-08-15 15:21 | 戦争/ 軍隊/ 歴史
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