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山は海に流れ流れて、海は山に降りそそぐ。全てのいのちはめぐりめぐる。
by kohtaboy_gabihan
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from 辺野古と高江に軍事基地は作ら..
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カテゴリ:雑感/ 空想( 11 )


崩壊する現在(いま)、創り上げてく未来

 ここ数年の世の中の動きを見ていると、頭から「崩壊」の2文字が離れません。というより、頭の中にこびり付いてしまっているように思います。

 どうしてそう思うかと言いますと、今日の世界を形作ってきたグローバルシステム(資本主義とか市場原理主義とか近代民主主義とかいったものを便宜上まとめてこう呼ぶことにします。乱暴かな?)が、様々な問題に打ちのめされながら、いよいよ大きな綻びを見せ始めているように感じるからです。

 例えば、ギリシャに始まる欧州金融危機は、グローバルシステムという強固な要塞に入ったひびが、ついにその核心部まで到達してしまった出来事のように思います。そして、日本でもそれを象徴するような出来事が起きています。

 それは、昨年日本全土が揺れに揺れた米軍普天間基地の移設問題と、今年世界を恐怖に陥れた(陥れている)福島第一原発事故です。これら2つの問題は、1つは「戦争」、もう1つは「放射能」という形で、僕たちの生活を根元から崩してしまう非常に重要な問題です。

 しかしながら、日本政府はいずれの問題に対しても、あまりに不誠実で姑息な解決策を持ち出し、民衆の怒りをかわしながら、何とか乗り切ろうとしています。

 普天間問題においては、沖縄の民意に目を向けることなく、アメリカと官僚の圧力に屈し、「抑止力」という方便を使って辺野古移設をゴリ押ししようとしています。

 また、福島原発事故で一気にクローズアップされた原発問題に関しては、政府は今まで大企業と共に築き上げてきた既得権益を守り、原発事故の責任から逃れるために、必死に福島原発事故を小さく見せようと苦心し、その結果福島の人々をはじめ、多くの人々が悲惨な放射線被曝を強いられています。しかも、原発事故の教訓から何も学ばなかったのか、今度は原発を海外に輸出しようとさえしています。

 これら2つの問題に加え、つい最近では国民的な議論や合意がないまま唐突にTPPへの参加が表明されたり、また僕の地元信州では、大規模な自然破壊を伴い、大量の電力を必要とするリニア新幹線の建設に向けての動きが始まったりしています。

 こうして見ると、まさに今の日本は「崩壊」の2文字に向けてラストスパートを切ってしまったように思えてなりません。はぁ……(嘆息)

 ところで、このグローバルシステムの構造をよくよく眺めてみると、システムの基礎部分ではたくさんの人々が上官にムチ打たれながら、必死に手を伸ばして支えています。それも、衣食住をろくに与えられずに。大勢の人達が苦しみに喘ぎながら倒れています。

 そんな脆弱な基礎の上に今のシステムは成り立っているんですから、いつか崩壊してしまうのは当然です。

 以前松本で上映会を開催した時に来て下さった、ドキュメンタリー映画監督の藤本幸久さんが語っていたことが僕の頭の中に甦ります。

 「今起きている現実に目を向け、それを自分の頭で考え、行動しなければ、さらなる破局が訪れるかもしれない。」

 ふと自分の足元を見てみると、地面に無数の亀裂が入っています。しかし、ほとんどの人はそのことに気付いていません。大変です。このままでは底知れぬ闇の奥に落ちてしまいます。なんとかして、このシステムから抜け出さねば…

 でも、ちょっと待ってください。

 さっき僕は「ほとんどの人は」と書きました。だから、すでに地面の亀裂に気付いて抜け出そうとしている人達もいるのです。

 その人達は、グローバルシステムの隙間から新たな目を発芽させ、そしてその芽から伸びていく蔓でこの要塞を覆ってしまおうとしています。その蔓をつたって、このシステムの上に出てしまえば、奈落の底に落ちてしまうことはありません。それらの芽から新しい花を咲かせ、別のシステムを作ってしまえばいいのです。

 しかし、困ったことが1つあります。

 実はこのグローバルシステムの要塞には、「核爆弾」と「原発」という自爆装置が至るところに仕掛けてあります。(すでにそのうちの1個が爆破してしまいました…。)いつかこのシステムが崩れ落ちていく過程で、その要塞にいる人がパニックに陥り、他の自爆装置に火を付けてしまわないか心配です。

 いくら新しい芽を発芽させても、これ以上自爆装置が爆発してしまえば、元も子もありませんから、そうなる前にこの自爆装置を解体しなければいけません。

 ところで、オバマさん、そろそろノーベル平和賞返却してもらっていいですか?


※「今起きている現実に目を向け、自分の頭で考え、行動していく」ための本の紹介
 (本のタイトルをクリックすると、アマゾンの本紹介ページにリンクします。)

 『世界が完全に思考停止する前に』 森 達也著、角川文庫、2006年、定価540円

 『地宝論-地球を救う地域の知恵』 田中 優著、子どもの未来社、2011年、定価1575円

 『減速して生きる-ダウンシフターズ』 高坂 勝箸、幻冬舎、2010年、定価1365円

 『2050年は江戸時代-衝撃のシミュレーション』 石川英輔著、1998年、講談社文庫、定価580円
 
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by kohtaboy_gabihan | 2011-11-21 15:51 | 雑感/ 空想

ハゲを生きる ~後編~

 日本とメキシコの間における、「ハゲ」に対する見方の2つの違い。

 1つは、「言葉」の違いです。

 日本語の「ハゲ」という言葉には、「ハゲている」という意味の他に、蔑視の意を含んでいます。僕も小さい頃友達とけんかすると、相手は別にハゲていないのに、「クソハゲ!!」などと悪口を言っていた覚えがあります。

 一方、メキシコ語(スペイン語)の「ハゲ(calvo)」は、「ハゲている」ことを示すだけで、その言葉自体に軽蔑の意はありません。なので、メキシコには日本のように「ハゲ!」と罵って、ハゲの人を見下すという文化はありません。

 実際、去年メキシコに3ヵ月間滞在していた時に、僕より年下なのに僕よりハゲている人と知り合いましたが、彼は別に「ハゲちゃったよ。どうしよう?」などと言って悩んでいる様子は全くなく、他のメキシコ人と同じように「アミーゴ!」と言いながら、陽気に振る舞っていました。彼だけでなく、他のハゲているメキシコ人も同じでした。また、現地のテレビを観ていても、育毛剤のCMは同じモノが一部のチャンネルで1日数回流れるだけでした。

 つまり、日本人がハゲることを嫌がるのは、「ハゲ」という言葉にネガティブな意味が含まれているからだというのが理由の一つとして挙げられます。

 そして、もう1つはその国に住む人々の「気質」の違いです。

 昨年末メキシコから日本に帰ってきて深く感じたことは、日本人には「他の人(多数派)と同じでありたい」という性向が強いということでした。(あくまでも一般論ですので、全ての人に当てはまるわけでありません。)

 例えば、ファッション雑誌で紹介される「個性的なおしゃれ」。雑誌の中では、きれいな/カッコイイモデルさん達がスタイリッシュな服を着て、「個性的なおしゃれ」を披露しています。それに魅了された読者さん達は、その「個性的なおしゃれ」を真似し始めます。

 そうした結果、雑誌の中では「個性的なおしゃれ」として紹介されていても、それをみんなが真似し始めると一人一人は「個性的なおしゃれをしているんだ」と思っていても、逆にどんどん個性を失っていく結果になってしまいます。

 誰も着ていないような服を着飾れば、それが本当の「個性的なおしゃれ」ですが、個性的であるがゆえにかえって周りから浮いてしまいます。そのように考えてみると、日本人の「個性的なおしゃれ」の裏側にある、「周りの人達と同じでありたい」という別の性向が浮かび上がってきます。

 一方、メキシコはどうでしょうか?メキシコを含め、中南米の多くの国々はスペイン人植民者と先住民の血が混ざり合ってできたメスティーソ(混血)の国です。なので、顔立ちも肌の色も様々です。同じ兄弟の間でも肌の色や顔立ちが違っていたりします。

 そのように人の容姿が違う社会においては、日本のように「他の人(多数派)と同じでありたい」という考えは根付かないのかもしれません。むしろ、「違っていて当然」という感覚の方が強いように感じます。また、経済格差がはっきりしているために、貧困層の人達が富裕層の人達と同じ服を着ることは現実的に不可能なことです。

 ここに日本人がハゲるのを嫌がるもう一つの理由があります。つまり、僕も含め多くの日本人には、「他人(多数派)と同じでありたい」という性向が無意識のうちに働くために、ハゲることで周りから浮いてしまうことを恐れてしまうのだと思います。

 それら2つの違いがわかった時、それまでどんよりと重たかった気持ちに光が差し込んできました。

 結局、自分が「ハゲ」で悩んでいたのは、「日本」という小さな国でしか通用しない価値観で周りから見られ、僕自身も自分のことをその価値観だけで見ていたからなんだ。  
 

続きはこちら・・・
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by kohtaboy_gabihan | 2011-10-31 17:00 | 雑感/ 空想

ハゲを生きる ~前編~

 タイトルを見て、「んん??」と思われたかもしれません。今日は基地や原発とは全く関係ないことを書きます。

 突然ですが、僕はハゲています。笑福亭鶴瓶にも負けず劣らずのM字ハゲです。

 ハゲることはもともとわかっていました。なぜなら、父も祖父もハゲているからです。中学生になると、自分も父のようにハゲてしまうのが怖くて、父が使っていた育毛剤を密かに使ったこともありました。

 両親はそんな僕の心情を察して、「お前はお母さんに似て髪の量も多いし、髪の毛も太いから大丈夫だ。」と言ってくれました。僕はすっかりその言葉を信じて切って安心していました。

 しかし、ハゲの遺伝にはやはり勝てませんでした。二十歳を超えると、徐々に前髪が後退し始めました。「これはヤバい」と思っていたけれど、特に育毛剤を使ったりしませんでした。

 なぜなら、アートネーチャーに行ったり、様々な育毛剤を使ったけれど、結局ハゲに勝てず、坊主になった父の姿を小さい頃からずっと見ていたので、「自分も無理だろう」という諦めの気持ちがありましたし、それまでの短い人生経験の中で、「人間は見た目じゃなくて中身だ」ということを感じていたからでした。なので、自分の中で「ハゲ」を素直に受け止めて、ハゲなりに前向きに生きていこうと心に決めました。

 でも、現実はそんなに甘くありませんでした。ハゲていることで同い年の友達といても自分だけ年上に見られますし、ハゲていることで女の子から恋愛対象として見てもらえないんじゃないかという不安や引け目が常に付きまとうようになりました。

 その不安や引け目から逃れるために、髪を伸ばしたり帽子を被ったりして、できる限りハゲを隠していました。ハゲであることをプラスに変えて前向きに生きていこうと思っていましたが、結局できませんでしたし、ハゲている自分に自身が持てませんでした。

 でも、そんな自分の不安をよそに、ハゲは着実に進行していきました。沖縄にいた時に友人にこんなことを言われました。

 「このまま髪を伸ばしたり、帽子を被ったりしているとますますハゲになるから、一度坊主にした方がいいよ。そうすれば、髪の毛もまた伸びようとして元気になるから。」

 自分もハゲていることにずっと引け目を感じたり、悩んでいるのが嫌だったので、いっそのこと丸坊主にしようと思っていました。しかし、踏ん切りがつきませんでした。自分のハゲを大っぴらにすることで周りからどんな目で見られるのか、どんなことを言われるのかが怖かったのです。

 そんな葛藤に揺れていた去年の9月、突然メキシコ留学時代にお世話になったホストファミリーのおばあちゃんが亡くなったという訃報が入り、急遽メキシコに行くことになりました。そして、メキシコに飛び立つ前日、「よし!!この際だ!」ということで、思い切って丸坊主にしました。丸坊主になった自分の姿を見て、「やっぱ老けてみえるな~」とつくづく思い、メキシコの友達は僕の頭を見て一体何て言うのだろうと不安に思いながら、メキシコ行の飛行機に乗りました。

 そこから時間を一気に早送りして言うと、メキシコから日本に帰ってきた時、僕はハゲていることにほとんど引け目を感じなくなっていました。それはなぜか?

 僕が2年半ぶりにメキシコの地に足を踏み入れ、現地の友達と再会した時、「ついにハゲちゃったんだね」とか「育毛剤使った方がいいよ」など、僕のハゲのことについて言う人は誰もいませんでした。みんな前回留学していた時と同じように接してくれましたし、3ヶ月の滞在中、誰の口からも僕のハゲに関する言葉は出てきませんでした。

 また、日本人を含めアジアの人は、メキシコの人達に比べると顔の彫が深くないので、ハゲていても実際の年齢よく若く見られましたし、女の子にもモテました(自分の勘違い!?)。そんなこんなでメキシコに行く前の自分の不安はどこへやら、メキシコに着いてからは自分がハゲていることに悩んでいるヒマもない程でした。

 そんな居心地良さを身に纏いながら日本に帰ってきたのですが、再び厳しい現実が襲いかかってきました。

 坊主になった僕の頭を見て、「ついにお父さんに似ちゃったね」とか「そろそろ育毛剤使った方がいいんじゃない?」というようなことを親戚・友人を含め、あらゆる人から言われました。誰も悪気があって言ってるわけではないことはわかっているのですが、ずっと同じことを言われ続けていると、さすがに堪えてきます。再び自分に自信がなくなってきて、だんだんと人前に出るのが嫌になってきました。

 そんな時、ずっとこんな疑問が頭から離れませんでした。

 「なんで、メキシコと日本でこんなにも「ハゲ」に対する見方が違うんだろうか?」

 そして、自分なりに考え続けた結果、2つのことがわかりました。


 後編へ続く…

 

 

 
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by kohtaboy_gabihan | 2011-10-24 15:34 | 雑感/ 空想

「平和」に大事な2つのこと。

 僕が沖縄にいた頃、しばしば地元の新聞に投書していました。先日、掲載された記事を読み返していたら、「やっぱそうだよなぁ~」と自分で納得してしまいました。なので、今日はその記事の一つを以下に書きたいと思います。

           *為政者が欠く平和への要素*

 世の中を平和にするためには、二つの要素が必要だと思います。

 一つ目は、「ユーモア」です。ユーモアがあれば、人間同士のいがみ合いを回避することができます。人々が争うことなく、和やかに暮らすためには、ユーモアの力が必要です。

 もう一つは、「想像力」です。想像力がなければ、他人の痛みや苦しみを理解することができません。相手が抱く悩みやつらさが分からなければ、人を幸せに導くことなど絶対にできるはずがありません。

 ジョン・レノンも「イマジン」という曲で、想像力の大切さを訴えていました。想像力は、地球上で人間だけが有するとても重要な能力なのです。

 普天間基地問題で日替わり発言を繰り返し、沖縄県民を振り回し続ける日米両政府。彼らには、いつもこの二つが欠けているように思えてなりません。

 そして、私たち自身もこの二つの能力を育てていかなければならないと思います。

 てな、感じです。

 被災地の人々のことは言うまでもなく、多くの人々が先の見えない不安に苛まれ、毎日を必死に生きているというのに、永田町で繰り広げられる不毛な権力争い。中には、国民のことを真剣に考えて行動している政治家もいるのだろうけど、テレビや新聞に出てくるのは、ユーモアと想像力に欠けた政治家ばかり。

 でも、こうなってしまったのは何も政治家だけの責任ではなく、彼らを選んでしまった僕達の側にも責任があります。

 被災地の復興を真剣に願うなら、政治家任せにするのではなく、僕達国民が被災地の人々に想像力を働かせて、自分のいる場所からユーモアのある復興を進めていきたいと思う、風邪気味の僕です。
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by kohtaboy_gabihan | 2011-06-10 12:47 | 雑感/ 空想

「下りていく生き方」

 今回の福島原発の事故は、僕達の生活がいかに危険なものの上に成り立っているのかをまざまざと見せつけ、それがもたらす被害はまだまだ収まりそうにありません。

 この未曾有の原発事故は、今まで「経済成長」ばかりに目を向けてきた、僕達の生活や社会のあり方が原子力を求めてしまったが故に起きてしまった事故だと思います。しかも、被害は国境を越え、世界中の人々を不安の中に陥れてしまいました。

 ところで話は変わりますが、地震が起きてから数日しか経ってない頃、松本から1時間ほど離れたところにある、とある宿に行ってきました。そんな時に旅行に出かけるのはとても後ろめたかったですが、そこは以前から行ってみたかった宿だったので、重い気持ちを携えたまま行ってきました。

 なぜそんなに行きたかったのかというと、そこのオーナーは30年前に自然に根ざした暮らしをしようと思い立ち、自然農を始めたり、てんぷら油で車を走らせたり、屋根の上に棚田を作ったりと、ユニークな取り組みを色々と行っているということを聞いていたので、ぜひその方に会って、その宿がどんなことをやっているのか自分の目で見てみたいと思ったからです。

 その願いが叶い、宿のオーナーと話すことができましたが、地震が起きた直後だったので、やはり話題は地震や原発のことが中心でした。

 その夜には、地震で犠牲になった人達にお祈りをしましょうというオーナーの奥さんの提案があり、奥さんが本場インドで習ってきたヨガの瞑想を教えてもらいながら、ろうそくの灯を囲んでお祈りを捧げました。

 目を閉じると、暗い避難所の中でろうそくの灯を囲みながら身を寄せ合っているだろう、被災した人達の姿が頭の中に映し出されました。僕が生きている同じ時間に震災で苦しんでいる人達のことを想い、お祈りの言葉を唱えたら、不思議なもので、ずっと地震のことで動揺していた心がふと落ち着きました。

 日本にも、インドと同じような瞑想の文化があったなら、きっと多くの人々の心を多少なりとも落ち着かせることができただろうに・・・と思わずにはいられませんでした。

 一夜明けた朝、再びオーナーと奥さんとお話しすることができましたが、その時にオーナーが語った言葉がずっと頭に残っています。

 「もう『お金』を優先した生き方はやめなきゃいけない。『経済成長』にばかり目を向けてきた結果が、今回の原発事故を招いてしまった。そろそろ『上っていく生き方』から、『下りていく生き方』に変えていかなければいけない」

 まさにその時が来たように思います。今回の原発事故と現在の経済状況を見ると、「そうしなければいけない」というより、「そうせざるを得ない」んじゃないかと思います。

 政財界の権力者たちは、このような大惨事を目の当たりにしても原発を推進しようとしていますが、原発も米軍基地と同じで、受け入れたいと言う自治体は出てこないでしょう。

 僕が沖縄にいた時に、戦争を生き抜いたおばあが言った言葉がよみがえります。

 「今の日本は、人の命よりもお金が大事にされる社会になってしまった」

 そろそろ僕達は、お金より人の命を大事にすることに真剣に向き合わなければなりません。

 ※僕が行った宿のホームページはこちら↓
  「ゲストハウス シャンティクティ」
  URL : http://www.ultraman.gr.jp/shantikuthi/index.html

 ※こちらの記事もご一読を
  保坂展人のどこどこ日記
  『「福島原発・重大事故」から学ばない人たち 』
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 放射能に怯える僕の心をよそに、「いのち」達が花を咲かせています。
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by kohtaboy_gabihan | 2011-04-11 23:47 | 雑感/ 空想

上映会終わりました。

 先週土曜日に行われた「辺野古を考えるドキュメンタリー映画上映会 in 松本」ですが、無事終了いたしました。

 東日本大地震や福島原発事故のことに加え、新年度の始まりだったので、正直ほとんど集まらないんじゃないかと心配していたのですが、午前と午後併せ70人以上の方にご参加いただきました。

 上映会に参加された方の感想をお聞きしたところ、どの方も辺野古や高江で起きている生の映像を見て、「衝撃を受けた」とおっしゃっていました。

 「座り込み」と聞くと、「ただその場に座っているだけ」なのだと思ってしまいますが、現実は違います。

 辺野古で海上阻止行動が行われていた時は、海上に設置された単管やぐらの上に座っていましたし、高江では、工事を強行しようとする防衛局員の目の前で座ります。そのことがいかに大変なことなのかを、映画を通し感じて頂けてよかったです。

 また、それと同時に、現場でたたかっている人達が紡ぎだす言葉の一つ一つに強い感銘を受けていました。

 藤本監督は、「その人が元々魅力的であるというよりも、ああいう活動がその人を魅力的にするんだ」とおっしゃっていましたが、僕も映画を見て「その通りかもしれない」と思いました。

 また、上映会の最後に質疑応答の時間をつくったのですが、たくさんの方が手を上げて、映画を見ての率直な思いや疑問を投げかけ、藤本監督もそれに丁寧に答えてくださったので、沖縄の基地問題についてさらに理解を深めることができました。

 今回の上映会に参加してくださった方の多くから、「見に来てよかった」との感想を頂き、自分としてはとてもうれしかったですし、藤本監督も「良い上映会だった」とおっしゃっていました。

 僕が沖縄に約1年半住んで感じたことは、「沖縄だけの力じゃ基地問題は解決できない」ということでした。

 現に、沖縄県知事も、名護市長も、沖縄県民も、辺野古移設に反対してるのに、日米両政府は辺野古に基地を造ろうとしています。

 その日本政府を支えているのが、僕たち日本国民である限り、普天間問題を解決する糸口は、僕ら本土に住む側にあると思います。本土に住む側が、米軍基地問題にもっと目を向け、事実を知り、考えていけば、きっと新たな解決策が見えてくるはずです。

 なので、今回の上映会がそのきっかけの一つになってくれていたら、それは大きな一歩です。

 道は長そうだけど、歩まなければ、何も景色は変わりません。

 少しずつでもいいから歩んでいけば、きっと新しい景色に巡り合えるはず。

 そんなことを感じた、上映会でした。
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あがたの森文化会館は国の重要文化財に指定されており、とても雰囲気のある上映会になりました。
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みなさん熱心に鑑賞していました。
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最後に藤本監督との質疑応答タイム。
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by kohtaboy_gabihan | 2011-04-07 00:14 | 雑感/ 空想

やっぱり戦争は嫌だ!地球を守ろう!!

 一瞬の出来事が、多くの人々の生命を奪い、人生を狂わせてしまいました。

 テレビのニュースでは、日々増えていく死者の数を淡々と伝えているけれど、その亡くなったひとり一人に名前があり、家族があり、築き上げてきたものがあったことを思うと、本当に心が痛みます。

 僕も現地に駆け付けて救援活動をお手伝いできたらいいのだけれど、自分の身の回りのことをすっぽかすわけにもいかず、遠くから義援金や救援物資を送るぐらいしかできないことにもどかしさを感じます。

 地震が起きた翌日、フェイスブックを覗いたら、メキシコの友達が心配してたくさんの励ましのメッセージを送ってくれていました。地球の裏側から届く心温かな言葉の一つ一つが、僕の心にじんと沁みました。

 そして、世界中のたくさんの国々が地震で被災した人達のために救助隊を派遣してくれたことにも感動し、胸が熱くなりました。

 その一方で、僕自身は今年起きたニュージーランドの地震や、昨年起きたハイチやチリの地震を「遠いところの出来事」としか捉えず、ちゃんと向き合わなかったことを今更ながら悔み、反省しました。

 今改めて、日本だけでなく、ニュージーランド・ハイチ・チリで犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。また、一人でも多くの人々の命が救われることを願っています。

 ところで、話は変わりますが、今回の地震で被害にあった被災地の光景をブラウン管を通して見ていると、僕の目には、それがイラクやアフガン、パレスチナなどの戦場の光景とダブって見えてきます。

 そして、こんなことを思わずにはいられません。

 人間の力じゃどうにも防げない自然災害でこれだけ悲惨なことが起こってしまうのに、なんで人間は戦争を起こして同じ悲劇をつくってしまうんだろう??

 今回の地震では、日本との関係悪化が懸念されていた中国やロシアも救助隊を派遣してくれています。

 北朝鮮も本当に日本を侵略しようと考えているのなら、ほとんどの自衛隊が被災地にいる今がチャンスなのに、そんな気配は全くないし、メディアだって北朝鮮に関しては何も報じなくなりました。

 こうした状況を見ていると、日本が戦争に巻き込まれる可能性なんてないような気がしてきます。

 今被災地で救援活動を行っている米軍も自衛隊も、これを機に、自分達の国を守るために他国の人々を殺す訓練をするような「軍隊」ではなく、地球に住む全ての人を分け隔てなく守る「地球救援隊」になったら、どんなに素晴らしいことだろうと思います。

 宇宙に一つしかない地球で、自然災害にこれだけ苦しんでいるのに、それに加えて戦争をするなんて本当に馬鹿らしい。

 もう戦争はいらない。一つしかない地球と人類を守るために、世界が繋がっていけたら、世界各地の自然災害や戦争で犠牲になった人達の思いもきっと報われるはず。
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 厳しい冬の雪の中で咲く花のように、厳しくて苦しい時こそ「いのち」は輝きます。
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by kohtaboy_gabihan | 2011-03-21 23:37 | 雑感/ 空想

メキシコから・・・

 かなり長いことブログの更新を怠ってしまいましたが、メキシコにて感じることを書きたいと思います。

 先週行われた沖縄県知事選挙は、普天間基地の「国外移設」を一心に貫いてきた伊波さんが当選することをメキシコから願っていたのですが、残念ながら、現職の仲井真知事が再選してしまいました。

 しかし、県内移設を容認してきた仲井真知事も、さすがに今回の選挙では沖縄県民の民意を汲み取り、「県外移設」を公約に掲げて当選しました。容認派だった仲井真知事を、「県外移設」を掲げないと当選できないと思わせたほど、沖縄県民の「県内移設反対」の民意は強固になったことを示した県知事選だったと感じました。

 沖縄県民と交わした「県外移設」の約束を、仲井真知事が簡単に破れるとは思えないし、もし破った場合には沖縄に居続けることはできないでしょう。

 知事選の結果を受け、日本政府は「沖縄県民の民意を尊重し、日米合意を遂行する」と、相矛盾することを平気で言っていますが、どうやったら「沖縄の民意を尊重し」て、辺野古の海に基地を建設できるのかよくわかりません。また、「オカネ作戦」で人々を騙すのでしょうか?

 アメリカに頭を上げられない日本政府に対し、これから仲井真知事がどのように交渉を展開していくのか注目しています。おそらく、ほとんど進展のない展開がしばらく続くような気がします。

 結局は、日本政府が仲井真知事ではなく、アメリカ政府と向き合わない限り、何も変わりません。

 そんな日本政府の態度を変えるためには、沖縄県民だけではなく、自分も含め本土の人達がこの問題について真剣に向き合っていくことが必要です。

 仲井真知事が言った「普天間問題は国全体で解決を」という主張は、僕の耳には本土にいる人達への問いかけに聞こえました。在日米軍は、沖縄だけではなく、日本全体の安全保障のために駐留しているわけだから、普天間基地の移設問題について日本全体で議論し、解決するのは、言ってみれば当然のことです。

 沖縄の人々は、「普天間基地はもう沖縄県内にいらない!!」という結論を出しました。その結論に対し、本土にいる僕達はどう応えるのか?

 「抑止力」のために必要だと考えるなら、基地の負担を国全体でどのように分担するのか、国民一人一人が考えなければなりません。

 沖縄からの問いかけを本土の側が無視し続ければ、日本の安全保障は「保障」ではなく、「故障」になるでしょう。

 しかし、「安全が保障される」ためには、軍隊や武器が必要なんでしょうか?

 地球の反対側にいる、文化も言葉も肌の色も異なった人達だって、結局は同じ人間。そんな人達とだって触れあえば、同じ家族のように付き合えるのに、同じ人間同士が武器を手に取り、争い、血を流すことに一体何の価値があるのだろうか?


 
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by kohtaboy_gabihan | 2010-12-04 16:00 | 雑感/ 空想

2009年を振り返って・・・

 今年の5月に沖縄に来てから、はや7ヶ月が過ぎ、2009年も終わりを迎え、新たな年が幕を開けようとしています。

 そして、この7ヶ月間で辺野古や高江、大きく言えば、沖縄を取り巻く状況は大きく変わりました。

 僕が辺野古のテント村に来た時には、まさかこんな状況になるとは思ってもみませんでした。政権交代で、本当に世の中は変わりつつあるんだなぁ、と改めて感じます。

 この7ヶ月間、沖縄で基地問題に関わり、いろいろなことを感じ、考えさせられ、勉強させられました。

 沖縄に来て、まず最初に衝撃を受けたのは、沖縄戦を経験した人達の深い悲しみでした。

 僕のブログの一番最初の記事でも書きましたが、6月23日の慰霊の日を前にした日曜日に、平和祈念公園にある平和の礎に行き、そこで遺族を慰霊しているおばあ2人に、沖縄戦のことについて少し話を聞いてみました。

 その2人のおばあの話や姿から感じたものは、戦争が終わって64年も経つのに、全く癒されることのない深い悲しみでした。これは、僕が想像していた以上のもので、戦争の残酷さを肌で思い知らされた出来事でした。

 しかし、戦後も沖縄の人々はアメリカ軍統治に苦しめられ、今もなお米軍基地の存在が彼らを苦しめています。

 おばあ達の癒されない悲しみや基地に苦しむ沖縄の人々のつらさを、一人でも多くの人に知ってもらい、沖縄の人々が米軍基地の脅威に悩まされることなく、平穏に生きられるように、自分も何かしなければいけない・・・

 そんな思いから、このブログを始めることを決意しました。

 7ヶ月の間、主に辺野古のテント村に座り込みながら、基地問題を見てきて、つくづく感じたことが2つあります。

 1つは、この世の中は、人の「命」を守るためにはできていない、ということ。

 もう1つは、「お金」は人の心を変えてしまう、恐ろしい魔力をもっている、ということ。

 この2つが、沖縄から基地がなくならない大きな原因だと思います。沖縄だけでなく、地球上のほとんどの問題は、この2つが解決の道を阻んでいるように見えます。

 あるおばあがこんなことを言っていたのをよく覚えています。

 「今の世の中は、人の『命』よりも『お金』の方が尊重される時代になってしまった」

 この言葉を聞いた時、僕も確かにその通りだと思うと同時に、そんな世の中に生きている自分にやるせなさも感じました。

 今も世界各地で命が危険にさらされている人がたくさんいるし、今の日本でも毎日100人近くの人が自殺しているというのに、人々の関心は、株価や国の借金などお金の動きばかりです。そればっかりを報道するメディアにも大きな原因があります。

 確かに、生活するためにお金は必要です。でも、極論を言ってしまえば、人間はお金がなくても生きていけます。ただ、「お金がないと生きていけない」と、思い込んでしまっているだけです。だって、お金なんてものがない時代に生きていた人もいるわけだし、おそらく今もそういう人はいると思います。

 人間は「お金」のために生きているわけではないし、そういう生き方はしてはいけない。

 「命」があってこそ、「お金」を使える自分がいるのだ、ということを忘れてはいけない。

 「お金」よりもまず、「命」のために生きていかなければ、と自分も肝に銘じています。

 前にも書いたことがありますが、沖縄には、「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」という言葉があります。それは、「命こそ宝」という意味です。戦争に振り回されてきた沖縄の人々が心から学んだことです。

 「命どぅ宝」の精神で、「命」を粗末にせず、「お金」が幅を利かせる今の世の中に、少しでも風穴を開けられるような、そんな2010年にしたいと思います。

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座り込み犬ポチと冬のテント村
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by kohtaboy_gabihan | 2009-12-31 13:14 | 雑感/ 空想

もしもストーリー

 この前書いた「もしも普天間基地がヤフーオークションに出品されたら・・・」の記事をもとに、こんなストーリーを考えてみました。

 ―ある日の防衛省官僚とアメリカ軍幹部の電話での会話―

 アメリカ軍幹部 「普天間基地ノ移設先ハ、モウ決マリマシタカ?」

 防衛省官僚 「いえ、一生懸命候補地を探しているのですが、まだ決まっていません」

 米軍 「辺野古ハ、ヤッパリダメデスカ?」

 防衛省 「沖縄県民の反対が強く、とても建設できそうにありません」

 米軍 「ソウデスカ・・・。沖縄ノ人達ハ、優シイデスシ、海モキレイナノデ、沖縄ニ基地ガ欲シイデスガ、彼ラガ反対シテイルノナラ、仕方アリマセンネ」

 防衛省 「申し訳ありません。こちらとしては、あらゆる手段を使って、基地建設を強行しようとしましたが、人々の声を封じ込めることはできませんでした」

 米軍 「デハ、沖縄ガダメナラ、ドコニ移スツモリデスカ?」

 防衛省 「沖縄県以外の自治体も、みな受け入れには反対しています」

 米軍 「ソウデスカ・・・。デモ、基地ヲ造ル約束ハシタハズデス」

 防衛省 「はい、それはわかっています。そこで、一つアイデアがあります」

 米軍 「ソレハ、何デスカ?」

 防衛省 「普天間基地をヤフーオークションに出そうと思っています。もしかしたら、どこか買い手が見つかるかもしれません」

 米軍 「ウーン・・・。候補地ガ見ツカラナイノナラ、ショウガナイデショウ」

 防衛省 「それでは、普天間基地をヤフーオークションに出品します」

 「カチッ」 ― マウスのクリック音

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by kohtaboy_gabihan | 2009-11-30 13:55 | 雑感/ 空想