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憲法と安保
from 辺野古と高江に軍事基地は作ら..
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カテゴリ:辺野古新基地建設問題( 11 )


辺野古の新基地建設問題

 以前書いた、辺野古の基地問題についての記事を、「辺野古の新基地建設問題」のカテゴリに移しました。

 もし、辺野古における、普天間基地の代替施設建設計画のこれまでの経緯を知らない方は、この記事を読んでもらえるとよくわかると思います。

 順番が逆になってしまって読みづらいですが、part1から順に読んでいってください。

 現在、普天間基地の移設問題に関するニュースが連日報道されていますが、この問題の経緯をちゃんと報道しているところはないように思います。

 納得できる解決策を見出すには、多くの人がこの問題のこれまでの経過について知ることが必要ではないでしょうか?それから、議論を始めるべきではないかと思います。

 高江のヘリパッド建設問題の経緯についても、「高江ヘリパッド問題」のカテゴリに書いてありますので、そちらも併せて読んでください。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-12-10 11:44 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 10

 しかしながら、準備書の縦覧後、防衛省は再び法令の根拠もなく、「補足調査」と称し、「事前調査」と同様な調査を行っています。この調査は現在も行われており、来年2010年3月末まで行われる予定です。この違法調査に対し、約8.6億円もの国民の税金が使われているのです。

 これは、調査に名を借りた「ジュゴンの追い出し」としか考えられないものです。

 そこで、こちら側は、環境アセスメント法を無視しながら調査を続けている防衛省、つまり国に対し、裁判を起こすことになりました。こちらとしては、2つの柱を立てて提訴する予定です。

 1つ目は、環境アセスメント法に違反する行為を行ってきた/行っていることの確認の訴えです。防衛省がこれまで行ってきた方法書や準備書は、アセス法に違反するものであって、法律に基づいてきちんと行われていれば、事業内容も変わっていたはずです。したがって、方法書の再作成から手続きをやり直す義務があることを確認し、アセス手続きのやり直しを求めます。

 もう1つは、損害賠償請求の訴えです。住民には、意見を述べる権利がありますが、防衛省によりそうした機会を奪われ、違法な環境破壊がなされることに対して、賠償を求めます。

 そこで、現在原告に参加していただける人を募っています。参加費用は、1人2000円です。詳しい手続きの内容は、ヘリ基地反対協議会のホームページに記載されています。こちらからどうぞ。
 http://www.mco.ne.jp/~herikiti/justice.html
 一人でも多くの人に参加していただけたら、とても力強いです。よろしくお願いします。

 しかしながら、この裁判は、もう一度アセスの手続きをやり直すように求めるもので、これに勝訴すれば、基地建設が白紙撤回になるというわけではありません。現在の日本の環境アセスメント法は、計画されている事業ができるだけ環境に負荷をかけない形で実施されるよう、環境調査を行うというものであって、その土地の自然がいかに豊かであって、事業により破壊されることになっても、事業を中止にする程の法的な力がありません。

 アメリカでは、ゼロ・オプションという形で、事業の実施によりその自然の生態系が大きなダメージを受けることが明らかな場合は、事業計画が中止になることもあります。しかしながら、日本の環境アセス法には、そのゼロ・オプションがないということが大きな問題なのです。

 では、この基地建設を白紙撤回に持ち込むにはどうしたらいいのか?

 それは、国民が「基地はいらない!!」と声をあげ、政府の方針を変更させるしかありません。政府は国民のためにあるのだから、多くの人が声をあげれば、基地建設を撤回させることができます。

 そのために、今回の裁判に多くの人が参加してもらえることが大切になります。これをきっかけに、基地建設反対行動が大きなうねりとなれば、辺野古沖合案の阻止行動の時のように、再び基地建設を断念させることができるはずです。

 この小さな沖縄島だけでは、限界があります。沖縄以外の場所に住む人達がこのことに関心をもってもらうことが、非常に重要なのです。再び、「戦争の道」を日本が歩まないためにも、今度の裁判の原告に参加してください。よろしくお願いします。

 今後の辺野古の基地建設問題の経過は、この裁判のことも含めて、追々ブログに書いていく予定です。

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 辺野古の浜の入口にある看板。でも、何やら書き込みが・・・
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-06 14:08 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 9

 沖縄防衛局による「環境現況調査」に対し、こちら側は、マンタ法によるジュゴンの食み跡調査やサンゴと海草・藻場のライン調査、それにパッシブソナーの設置作業の阻止行動を展開しました。

 しかしながら、2007年と同じように海上行動参加者が少なかったこと、さらに海上保安庁がキャンプ・シュワブ内に常駐し、こちら側の動きに目を光らせるようになったことで、阻止行動は思ったような成果をあげられずに、防衛局による海上調査は2009年3月まで行われました。

 海上だけでなく、陸上においても反対活動は行われ、県庁や沖縄防衛局に対する抗議活動や周辺住民への基地建設問題に関する広報活動など、様々な反対行動を展開しました。

 加えて、2008年6月に行われた沖縄県議会選挙では、12年ぶりに与野党が逆転しました。こちら側は、県民集会の開催等、様々な行動を起こし、県議会に対して、「新基地建設反対決議」の要請行動を行いました。

 そして、2008年7月18日、県議会の傍聴席を約150名の一般市民が埋め尽くす中、「辺野古新基地建設撤回決議」が採択され、喜びの拍手喝采が起こりました。しかしながら、仲井真県知事は、同日、県議会決議後、基地建設推進派の第8回移設協議会に参加したのです。

 翌2009年3月に「環境現況調査」が終了し、4月2日から5月1日までアセス法の2番目の手続きである「準備書」が公告・縦覧されました。しかしながら、準備書は約5400ページにもわたり、一般市民が読むには余りにも長く、中身のなかった方法書に比べると、嫌がらせとしか思えないようなものでした。

 さらに、方法書には記載されていなかった新たな事業内容や、米軍機が民間地域を飛行しないなどと書かれており、虚偽を前提としたものにすぎなかったのです。これでは、方法書を前提として準備書を作成するという、環境アセスの基本的手続きをも無視し、違法であると言わざるを得ません。

 このずさんな準備書に対する一般市民や専門家の意見書が、全国各地から5800通以上防衛局に送られました。方法書に対する意見書が約500通だったので、その時の10倍以上の意見を民衆が防衛局に突き付けたのです。防衛局は、これらの市民の意見をちゃんと事業計画に反映させなければなりません。

 次回part10に続く・・・
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 辺野古基地建設反対運動を一番最初に展開した「命を守る会」の事務所。おじい、おばあの思いを引き継ぎ、今も使用しています。
 
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-04 13:05 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 8

 環境アセスメント法に違反する「事前調査」が続けられる中、防衛局は2007年8月、環境アセスの方法書を公告・縦覧しました。ところが、事業内容はわずか6ページで、そもそも方法書の形をなしていない、とてもお粗末なものでした。

 それに対し、アセス監視団による緊急学習会を開催し、方法書に対する意見書提出運動を開始しました。この結果、アセス監視団や一般住民などから500件余りの意見書が防衛局に提出されました。

 同年11月からは沖縄県環境影響評価審査会が開かれ、多くの住民が審査会の傍聴に参加しました。審査員や住民からいい加減な方法書に対する厳しい批判が相次ぎ、防衛局は大幅な内容の追加を余儀なくされました。

 翌2008年1月18日に審査会は、「方法書の書き直し」を答申しましたが、仲井真県知事は、「書き直し」は「やり直し」ではないとして否定し、自然保護の立場からの厳しい内容の答申を裏切り、文章に基地建設を容認する内容を盛り込んだのです。

 しかしながら、防衛局は追加・修正資料を出さざるを得ませんでした。こちら側は、追加・修正資料は方法書の中身であるから、それらの公告・縦覧を要求しましたが、実現されませんでした。

 防衛局は基地建設を急がせるために、アセス法の方法書に基づく冬季の調査を2008年2月に実施しようと計画していました。しかしながら、自らが作成したずさんな方法書と一般市民の審査会傍聴運動により、9ヵ月遅れの同年12月に調査せざるを得ませんでした。

 他方、アメリカのサンフランシスコで行われていたジュゴン訴訟は、2008年1月23日、裁判長が被告である米国防総省・国防長官に「米国文化財保護法に基づき、ジュゴンの保護策を示せ」との判決を下し、米国防総省の事実上の敗訴が決まりました。

 そして、同年3月17日から、いよいよ沖縄防衛局による辺野古周辺海域での「環境現況調査」が開始されたのです。

 次回に続く・・・

 ※那覇防衛施設局は、2007年9月1日に沖縄防衛局に改編されました。
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辺野古沿岸案の建設予定図
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-01 13:17 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 7

 辺野古沿岸案に決定された後、防衛省は当時の守屋防衛事務次官(ゴルフ接待などの汚職で逮捕された)の企画・指揮のもと、環境アセスメント法違反を承知の上で、2007年4月から海域の「事前調査」を強行してきました。

 海上保安庁の巡視艇やボートに守られながら、30隻以上の調査船・警戒船を展開し、3日間で100個以上の調査機器が設置されてしまいました。

 ジュゴンの鳴き声を調べるパッシブソナーや水中ビデオカメラ等が海中に設置されましたが、これらの機器はとても大きく、「こんな大きいものがあったら、警戒心の強いジュゴンは近づかなくなるし、逆にジュゴンを追い出すことで基地建設を肯定しようとしているのではないか」という批判もあがっています。

 さらに、5月18日には、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」を派遣して、作業を着手してきました。この掃海母艦は大砲と機関銃を備えており、基地建設に反対しているだけの罪のない市民に銃を向けるという暴挙に出たのです。

 こちら側も毎朝6時に集合し、15名程で阻止行動を展開しましたが、今回はダイバーが潜って調査機器の設置を阻止するという海中での阻止行動になったので、防衛局の多数のダイバーの前では、思ったように阻止できませんでした。

 そうした中、海中で阻止行動をしているダイバーのガスボンベを防衛局の作業員が閉めるという殺人未遂事件も起こったのです。

 また、2004、5年のボーリング工事阻止行動の時には、中立的な立場から現場の状況を監視していた海上保安庁が、今回は防衛局側につくようになり、こちら側の阻止行動を妨害するという姿勢をとってきました。翌年からは海上保安庁のゴムボート4隻がキャンプ・シュワブ内に常駐し、迅速に阻止行動に規制をかけてくるようになってきたのです。

 さらに、調査範囲が辺野古周辺の海域にまで広がり、テント村からは攻防戦の一部しか見えなくなったために、阻止行動は困難を極めました。

 これらに加え、海中での阻止行動の取材がしにくくなったために、マスコミもあまり来なくなり、そのため世間の関心が薄れていってしまったことや、2004、5年の海上阻止行動に参加していた人達がそれぞれの生活に戻り、参加できる人が少なくなったことも大きな問題でした。

 次回に続く・・・

 ※環境アセスメント法(環境影響評価法)・・・大規模な開発事業の内容を決めるに当たって、それが環境にどのような影響を及ぼすかについて、事業者自らが調査・予測・評価を行い、その結果を公表して国民、地方公共団体などから意見を聴き、それらを踏まえて環境の保全の観点からよりよい事業計画を作り上げていこうという環境アセスメントについての手続きを定めた法律。アセスメントとは、「評価、査定」という意味。詳しくは、「環境影響評価情報支援ネットワーク」のホームページをご覧ください。
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いつかこの鉄条網が撤去され、向こうの浜まで行ける日が来たらいいですね。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-30 13:13 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 6

 「沿岸案」は、今回計画されたものではなく、ベトナム戦争時にアメリカが計画したものによく似ています。この時は、アメリカに財政的余裕がなく建設されることはありませんでした。

 しかしながら、もしこの沿岸案が実現されてしまうと、再びベトナム戦争のような悲惨な戦争が繰り返されることになると言っても決して過言ではないと思います。しかも、滑走路に加え、軍港が建設されることも予想されるので、辺野古の海に巨大な軍事要塞ができることになってしまうのです。

 キャンプ・シュワブをはさんで辺野古の海の反対側には、多様な生物の宝庫として知られている大浦湾が広がっています。ここには、ジュゴンをはじめとして、ウミガメ、トカゲハゼ、クマノミ、イソギンチャク、サンゴなどが生息しています。大浦湾は、自然豊かな沖縄を代表する海の一つですが、沿岸案によって、この大自然が破壊される危機に直面しています。

 沿岸に基地を建設するためには、大量の埋立土砂が必要になります。その量は約2100㎥にものぼり、沖縄防衛局は、そのうちの1700㎥を沖縄近海から採取すると言っています。それは、沖縄県内における海砂の年間採取量の12.4年分に当たります。

 わかりやすく説明すると、深さ1m、幅100mの海砂を長さ170kmにわたって採取することになります。沖縄本島の南北の長さが約130kmですから、それ以上の長さになるわけです。ダンプカーに例えると、340万台分の量になります。

 これだけの海砂が基地建設のために一度に採取されれば、辺野古の海だけでなく、沖縄全体の海が大きなダメージを受けることになります。きれいな海を武器に観光客を呼び込んでいるにも関わらず、その海が大きく破壊されることになってしまうのです。

 さらに、辺野古周辺に住む約5000人の人々の水がめとなっている辺野古ダム周辺からも約30ヘクタールの土砂を採取することになるので、住民の飲み水も危機にさらされています。

 また、飛行機を毎日洗浄するとなれば、大量の洗剤が必要とされ、その洗剤を含んだ水が海に流されれば、さらに大きな環境破壊を受けます。

 このように辺野古に基地が建設されれば、辺野古だけでなく、沖縄全体が大きな環境破壊を被ることになります。日本、アメリカ両政府は、今回の基地建設を含めた在日米軍再編は沖縄県民にとって基地の負担軽減になると言っていますが、これは決して負担軽減にはつながりません。

 このことは沖縄だけの問題ではありません。辺野古沿岸に基地を建設するために必要な費用は、約1兆円にも上り、辺野古基地建設を含めた今回の在日米軍再編費用の総額は、約2~3兆円になると言われています。この費用は、全て日本国民の税金が使われます。つまり、総額3兆円であるとすると、国民一人あたり約2万3千円の負担になり、定額給付金で受け取ったお金よりも2倍近く多い税金を、基地建設のために払わなければいけないことになります。

 沖縄に住む人々だけでなく、日本に住む人々全員がこの基地建設問題に関心を向けて、ともに考えていかなければなりません。

 まだまだ続きます・・・
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 海上では基地建設はされていませんが、キャンプ・シュワブ内では次々と新しい建物が建設され、在日米軍再編の準備が進められています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-13 12:53 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 5

 辺野古沖案を断念させることに成功したものの、2005年10月29日、日米両政府は、日米安全保障協議会を開き、その米軍再編中間報告において、辺野古沿岸に基地を建設することを決定しました。

 基地が沿岸に建てられるということは、その分住宅地に近付き、住宅地上空を戦闘機や軍用ヘリが飛ぶことになるので、当時の岸本名護市長、稲嶺県知事は、沿岸案に反対の意を示しました。さらに、2006年3月には、沿岸案撤回を訴えるために、県民大会が開かれ、3万5千人もの人々が集まりました。

 しかしながら、2006年4月7日夜、当時の額賀防衛庁長官は、島袋名護市長と東宜野座村長(共に現職)と協議し、米軍機が陸上部を飛ばないよう、V字型に滑走路を造ると説明し、島袋市長と東村長は基本合意書に署名をしてしまいました。

 ところが、同じ日に東京で開かれた日米協議で、米軍は「陸上部を飛ぶ」と主張していたことが、ジュゴン訴訟に出された米軍報告書で判明したのです。つまり、昼に米軍は「陸上部を飛ぶ」と言っていたにもかかわらず、日本政府は、夜の協議では「陸上部は飛ばない」と説明して、沖縄に合意させたのです。

 このジュゴン訴訟とは、2003年、新基地建設の米国側の責任を問うために、沖縄ジュゴンと地域住民、そして日米の環境保護団体が原告となり、米国防総省・国防長官を被告として、サンフランシスコ連邦地裁に提訴した訴訟のことです。2008年1月23日、裁判長は被告に「米国文化財保護法にもとづき、ジュゴンの保護策を示せ」との判決を下しました。

 このジュゴン訴訟において米国が出した資料によって、新基地建設に関する様々なことが明らかになりました。
 ①陸上部を飛ぶ
 ②ヘリコプターや戦闘機に実弾を積む場所(普天間基地にはない)を作れ
 ③214mの軍港が必要
 ④故障した飛行機の移動方法を検討せよ
 ⑤毎日、飛行機を洗浄する場所を示せ
 ⑥キャンプシュワブ陸上、辺野古ダムの環境調査をすべき
 ⑦騒音コンター(騒音地図)はどうなっているか示すべき

 これらの事実が明るみに出たことで、沖縄防衛局は、追加説明資料を提出しました。そこには、埋め立てのために沖縄近海で大量の砂(1700万㎥)を採取する、辺野古の海に920mもの誘導灯、大浦湾に430mの誘導灯を作ることが明記されていました。

 こうした事実が隠されたまま、基地建設に向けた準備が着々と進められ、2006年5月には、日米安全保障協議会において米軍再編が最終合意に至りました。さらに、沿岸案に反対していた稲嶺県知事も、額賀防衛庁長官と共に、「基本確認書」にサインをしてしまったのです。

 part6に続く・・・
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 新しく建設されようとしている辺野古沿岸案の地図
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-10 13:51 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 4

 海上に建つ単管やぐらにも、冬の北風は容赦なく吹きつけました。施設局は隙あらば建設着工を強行してくるため、いかなる時でも油断はできませんでした。

 作業船が単管やぐらに向かってくる。やぐらに緊張がはしる。まず、阻止態勢をとり、作業船の横付けを阻む。そして、水温の低い冬の海に飛び込んで作業を阻止することもたびたび。

 連日、日が昇る前に出港し、日中を海上の阻止行動に費やしました。日常生活は犠牲にせざるを得ませんでした。度重なる阻止行動の疲れによって、体力、精神力はともに限界を超えていました。

 2005年4月下旬、施設局は自らが決めた約束(ジュゴンの生態に配慮して、夜間作業はしない)を破って、夜間から未明にかけて作業をし、単管やぐらの周囲に進入防止の金網を張り巡らせました。

 そのため、阻止行動をする人たちは、金網をよじ登ってやぐら内部に入りました。その日からは夜間も含めた24時間の海上阻止行動を開始しました。24時間体制は、その後40日間続きました。

 2005年9月2日、施設局は台風対策という理由で、全ての単管やぐらを撤去しました。

 単管やぐらは、9ヵ月という長期間にわたり、海上に設置されていたため、さびついて修理もできなくなり、撤去せざるを得なくなっていました。施設局が当初の辺野古沖案で計画していた63箇所のボーリング工事は結局、1箇所も着工させなかったのです。

 命を守る会とヘリ基地反対協議会が長きに渡って止め続けてきた基地建設。そして、日本全国、全世界に広まった基地建設を止める行動によって、辺野古沖案を事実上断念させることに成功したのです。

 これは、平和を願い、行動してきた人たちの大きな成果です。

 ところが・・・
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 辺野古の浜と米軍基地キャンプシュワブを隔てるフェンス。多くの人が平和への願いを布に書いて、フェンスに結んでいきました。フェンス奥には、米軍の監視カメラが設置されています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-05 14:42 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 3

 施設局は、何度も予告なしに辺野古へやってきて、基地建設を着工しようとしました。漁港手前での話し合い(説得)は毎回長時間に及びました。施設局は5ヵ月の間に32回来ましたが、座り込みによって全て押し返しました。この間、辺野古近くまで機動隊がやってきて、待機していたこともありました。テント村の人たちは、毎日朝5時頃から座り込みを始め、毎回話し合いが終わるたび、安堵すると同時に、次は機動隊が投入されるかもしれないというプレッシャーを感じていました。

 辺野古で座り込みが続く中、2004年8月13日、宜野湾市にある普天間基地の米軍ヘリが、沖縄国際大学構内に墜落炎上するという大事件が起きました。「こんな危険な基地は即時閉鎖せよ」との世論が盛り上がるのに対して、日本政府は「危険な普天間基地は早く辺野古に移設する」と県民を愚弄し、道理に合わない理屈をもって、辺野古新基地建設を急がせたのです。しかし、この米軍ヘリ墜落事件のことは、同じ時期にアテネオリンピックが開催されていたために、本土ではほとんど報道されず、本土に住む多くの人が知らぬまま、新基地建設の準備が進められていったのです。

 米軍ヘリ墜落事件から半月後の2004年9月9日、施設局は基地建設の強行を発表しました。それに対して、日本全国から400人を超える人たちが、基地建設を阻止するために座り込みテントに結集しました。

 しかしながら、施設局は400人以上が座り込む辺野古漁港へ強行突入せず、米軍基地キャンプシュワブの浜から出航し、辺野古海上で作業を開始しました。この日からカヌーや船、海への飛び込みによる、完全非暴力による基地建設海上阻止行動が始まったのです。

 連日必死に阻止行動を展開しましたが、施設局の暴力的な建設作業によって、2004年11月下旬、海上に基地建設のためのボーリング工事用の単管やぐらを4つ建てられてしまいました。やぐらは、縦横4m、海面からの高さが5~6mにのぼるものでした。それからは毎日やぐらの上で必死に抵抗し、ボーリング工事を止め続けました。

 2004年11月16日、沖合のボーリング工事を強行するため、施設局の大型機重船が辺野古の海に現れました。しかし、カヌーや船、海に飛び込んだ人たちによって、それを追い返しました。

 その後11月20日には、施設局がスパット台船(海上でボーリング工事をするための大型船)の設置を強行しますが、海底に鉄杭を下ろして設置するため、大きなサンゴ礁破壊を及ぼすことになります。サンゴ礁の破壊は国内外の批判にさらされ、結局、台船は引き揚げていきました。スパット台船はその後2回にわたって設置されようとしますが、いずれも阻止しました。

 2004年12月、単管やぐらにおける攻防が激しくなりました。海上阻止行動をする人たちの中には、施設局の暴力行為によって、病院に搬送される人も出るようになりました。

 そうした状況を知った近隣の海人〔ウミンチュ〕(漁師)たちは、辺野古の海、沖縄の海を守るために、海上阻止行動に加わりました。この海人の参加によって、阻止行動は大きく好転していったのです。

 part 4に続く・・・
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辺野古の浜から見る米軍基地キャンプシュワブ
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-04 13:52 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 2

 それらに加えて、辺野古近海は、「ジュゴンの海」としても知られています。辺野古の海には、ジュゴンのエサとなる海草藻場が広がっており、それを食べにやってくるのです。

 沖縄本島北部の東海岸は、ジュゴンの生息分布の北限の位置にあり、辺野古周辺の海域は、絶滅の危機にあるジュゴンの棲む海なのです。

 そうした状況の中、1997年1月27日、辺野古の人達によって、「命を守る会」が結成されました。その日から、辺野古の海に基地を造らせないための、おじいやおばあたちの座り込みが開始され、8年もの間毎日続きました。

 座り込みをしていた93歳のおばあは、「この海の恵みで子供たちを育ててきました。宝の海を子孫に手渡すことが私たちの努めです」と語りました。

 そして、1997年12月21日、辺野古が属する名護市の人々に新基地建設の是非を問うための名護市民投票が行われました。日本政府から市民に対して、「基地賛成」への誘導工作があったにもかかわらず、基地建設に対して市民の過半数(52%)が「反対」の意思を示しました。

 しかしながら、名護市長は市民の意思を無視して、独断で基地建設を認めてしまったのです。

 この市民投票を推し進めた「名護市民投票推進協議会」は、「ヘリ基地建設反対協議会」になり、「命を守る会」と共に辺野古の闘いの中心となりました。

 「命を守る会」の座り込み開始から6年半が過ぎた2003年4月に、日本政府は基地建設の事前調査を強行しました。その事前調査を止められなかったことを教訓にして、今後行われるであろう基地建設のボーリング工事(地盤や地質を調査するために地面に穴をあける工事)を止めるために、2003年7月から辺野古の浜で土曜集会を始め、話し合いや浜清掃、カヌー練習などを行いました。

 翌年、2004年4月19日未明、那覇防衛施設局は辺野古漁港に作業ヤードを造ろうとしましたが、集まった人たちで押し返しました。
 
 この日から基地建設を止めるための、完全非暴力による座り込み阻止行動が始まったのです。

 part 3に続く・・・
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 テント村から見える辺野古の海
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by kohtaboy_gabihan | 2009-06-30 14:06 | 辺野古新基地建設問題