海と山を結blog☆


山は海に流れ流れて、海は山に降りそそぐ。全てのいのちはめぐりめぐる。
by kohtaboy_gabihan
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリ
以前の記事
リンク
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
憲法と安保
from 辺野古と高江に軍事基地は作ら..
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2009年 06月 ( 5 )   > この月の画像一覧


辺野古の新基地建設問題 part 2

 それらに加えて、辺野古近海は、「ジュゴンの海」としても知られています。辺野古の海には、ジュゴンのエサとなる海草藻場が広がっており、それを食べにやってくるのです。

 沖縄本島北部の東海岸は、ジュゴンの生息分布の北限の位置にあり、辺野古周辺の海域は、絶滅の危機にあるジュゴンの棲む海なのです。

 そうした状況の中、1997年1月27日、辺野古の人達によって、「命を守る会」が結成されました。その日から、辺野古の海に基地を造らせないための、おじいやおばあたちの座り込みが開始され、8年もの間毎日続きました。

 座り込みをしていた93歳のおばあは、「この海の恵みで子供たちを育ててきました。宝の海を子孫に手渡すことが私たちの努めです」と語りました。

 そして、1997年12月21日、辺野古が属する名護市の人々に新基地建設の是非を問うための名護市民投票が行われました。日本政府から市民に対して、「基地賛成」への誘導工作があったにもかかわらず、基地建設に対して市民の過半数(52%)が「反対」の意思を示しました。

 しかしながら、名護市長は市民の意思を無視して、独断で基地建設を認めてしまったのです。

 この市民投票を推し進めた「名護市民投票推進協議会」は、「ヘリ基地建設反対協議会」になり、「命を守る会」と共に辺野古の闘いの中心となりました。

 「命を守る会」の座り込み開始から6年半が過ぎた2003年4月に、日本政府は基地建設の事前調査を強行しました。その事前調査を止められなかったことを教訓にして、今後行われるであろう基地建設のボーリング工事(地盤や地質を調査するために地面に穴をあける工事)を止めるために、2003年7月から辺野古の浜で土曜集会を始め、話し合いや浜清掃、カヌー練習などを行いました。

 翌年、2004年4月19日未明、那覇防衛施設局は辺野古漁港に作業ヤードを造ろうとしましたが、集まった人たちで押し返しました。
 
 この日から基地建設を止めるための、完全非暴力による座り込み阻止行動が始まったのです。

 part 3に続く・・・
a0131573_1403457.jpg

 テント村から見える辺野古の海
[PR]

by kohtaboy_gabihan | 2009-06-30 14:06 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 1

 前置きが長くなりましたが、いよいよ沖縄の米軍基地問題について書いていきたいと思います。
 まず、辺野古(へのこ)の新基地建設問題のこれまでの経緯を書きます。

 知っている人も大勢いると思いますが、沖縄は「観光の島」であると同時に、「基地の島」という側面もあります。それが露骨に現れたのは、2001年のアメリカで起きた同時多発テロの時です。あの時、沖縄の米軍基地も狙われるかもしれないということで、観光客が激減しました。

 沖縄県の面積は、日本全体の国土面積の0.6%に過ぎないにもかかわらず、在日米軍専用基地の約75%が集中しています。しかも、沖縄本島の約2割が米軍基地に占拠されています。

 このため、住宅地域への米軍機墜落や被弾事件、米兵による暴行、戦闘機などの爆音被害、自然破壊などは跡を絶たず、沖縄の人々は60年以上にわたって、米軍基地の存在に苦しめられています。

 こうした中、辺野古の新基地建設の話が出てきたきっかけとなったのは、1995年に起きた米兵による少女暴行事件でした。この事件を機に、沖縄の人々の積もり重なる怒りが爆発し、事件から1ヵ月後の1995年10月21日に県民総決起大会が開かれ、8万5千人もの人々が結集しました。これを受け、日米両政府は沖縄県民の怒りを抑えるため、翌年、普天間基地の全面返還を発表します。

 日米両政府は、SACO(沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会)を作り、1996年12月2日のSACO最終報告で、普天間基地を全面返還する代わりに、その代替基地として、「沖縄本島東海岸沖」に新基地を建設すると発表しました。

 そして、その基地建設場所として決まったのが、辺野古沖でした。新基地は、辺野古の海を長さ約2500m、幅約730mにわたって埋め立てて作られるという、とても広大なものでした。もし海が埋め立てられてしまえば、周辺の海域は破壊され、サンゴや豊かな魚介類は死滅し、さらに、辺野古の浜から見える水平線は基地の陰になり、完全に見えなくなります。

 基地からは毎日ヘリが飛び立ち、日夜爆音をまき散らし、住宅地を飛び交います。そして、基地では毎日、人を殺すための訓練が行われ、米兵たちは世界各地の戦争に向かっていくことになるのです。
 
 次回に続く・・・
a0131573_2222852.jpg
←辺野古の浜から見える海
[PR]

by kohtaboy_gabihan | 2009-06-28 22:17 | 辺野古新基地建設問題

米軍基地建設に反対する理由

 基地問題について書く前に、なぜ僕が辺野古、高江の新基地建設に反対するのかを書きたいと思います。

 基地建設に反対する活動というと、イコール「平和活動」ととらえられますが、僕はあまり「平和」「PEACE」という言葉を積極的に使いたくありません。「平和」という言葉は定義があいまいで、使う人、使う状況によって、様々に、そして都合よく使用され、解釈されてしまうからです。

 「平和」というと、一般的には、「暴力がないこと」、「人を殺さない、殺されないこと」、「戦争がないこと」などがあげられると思います。

 しかし、「人を殺さない」世の中を実現することは、簡単なことではありません。特に、「個人間の殺人」をなくすことは、とても難しいことだと僕は思います。「個人間の殺人は絶対にいけない」と言ってしまうと、テレビの金曜サスペンス劇場などの殺人もののドラマは放送禁止にしなければいけないし、殺人ものの小説も発刊禁止にしなければいけなくなります。「人殺しはいけない」と思っていても、そういったドラマや小説を見たり、読んだりしていると、殺す側の気持ちも理解できます。それは、殺される側の方にも、相手に殺したいと思わせてしまうほどのことをした落ち度があるからです。だからと言って、「人を殺してしまうことは仕方がない」と言うつもりはないし、「人を殺すことのない、そして殺されることのない」世の中にしていかなければなりません。なので、サスペンスドラマや小説を通して、「人を殺さない、殺されない」ためにはどうしたらいいのかを学ぶ必要があるのだと思います。

 ここでは、「個人間の殺人」をドラマや小説を例にして書きましたが、それ以外にも子供への虐待死や、介護疲れによる被介護者への殺人など、今の例では説明できない別の問題もありますが、それは別の記事で書くことにします。

 ただ、「集団間の殺人」、紛争や戦争などがありますが、これは絶対にいけないことだと思うし、なくすことができると考えています。基本的には、相対立する政府間の中が悪くなり、最終的に戦争が勃発しますが、その国に属する国民であるというだけで、戦争に駆りだされ、なぜ会ったこともない、話したこともない人達を殺さなければいけないのか、とても疑問に思ってしまいます。

続きはこちら
[PR]

by kohtaboy_gabihan | 2009-06-26 15:24 | はじめての方へ

ブログの位置づけ

 最初にブログ開設に至るまでの経緯を書いたところで、次はこのブログの位置づけについて書こうと思います。

 ブログのタイトルにもあるように、このブログは辺野古と高江の基地問題の状況を、一人でも多くの人に知ってもらえるようにとの目的で開設しましたが、普段は辺野古のテント村にいるので、高江の状況はなかなか伝えることができないですし、辺野古の日々の状況は、『辺野古浜通信』のブログを見ればわかります。また、高江の状況も『やんばる東村 高江の現状』というブログをのぞけば、こちらのこともよくわかると思います。

 というわけで、このブログは辺野古や高江の日々の状況を伝えるというよりも、まだ沖縄の基地問題についてよく知らない人でも理解できるように、辺野古や高江における基地建設問題のこれまでの経緯、基地問題の様々な側面について書き、『辺野古浜通信』や『やんばる東村 高江の現状』などのブログと合わせて見てもらうことで、この新基地建設問題を一人でも多くの人に理解してもらえたらと思います。

 それ以外にも、辺野古のテント村で座り込みをしながら、僕自身が日々思うことなども書いていこうと考えています。もちろん、文章だけではつまらないので、できるだけ画像も交えていくつもりです。

 ただ一つ注意していただきたいことは、テント村にはいろんな人たちがいて、人それぞれ考えていることは様々です。でも、「完全非暴力によって、人殺しのための軍事基地の建設を中止させる」という点では、皆一致しています。というわけで、このブログで書く意見・考え・思いは、他の人達と共通する部分もありますが、あくまで僕自身の意見・考え・思いですので、その点に注意してみてもらえると幸いです。また、記事に対する意見などありましたら、コメントやトラックバック欄にぜひぜひ書いてください。
[PR]

by kohtaboy_gabihan | 2009-06-25 12:35 | はじめての方へ

ついにブログ開設!!

 みなさん、はじめまして。
 僕は、辺野古での米軍新基地建設に反対し、現地で反対活動を行っている人達に交じって、テント村で座り込みをしています。僕は、沖縄県人ではなく、沖縄の言葉(うちなーぐち)で言うところの、大和人(やまとんちゅ)です。まだ沖縄に来てから、1ヶ月程です。
 まず、ブログを開設するにあたって、なぜ辺野古や高江の米軍基地建設問題に関するブログを作ろうと思ったかを書きたいと思います。
 僕が辺野古の基地問題を知ったのは、大学時代の2004年頃です。当時大学で沖縄関係の講義を受けていて、その中で沖縄で新しく基地が建設されようとしていることを知りましたが、その時は特に深い関心を抱かずにいました。
 その後、沖縄やアイヌ、在日朝鮮人について研究するゼミに入り、2006年の夏にゼミ旅行で初めて沖縄を訪れ、辺野古にも行きました。その時は、反対活動は緊迫した状況にはなく、穏やかな時期でしたが、現地の人に基地建設問題について説明してもらい、実際にフェンス越しに米軍基地を見て深く関心をもち、それから本土に帰っても、ブログで辺野古の状況を頻繁にチェックするようになりました。
 ブログを見ている間にも、反対行動が緊迫した状況になった時期が何度もあり、実際に現地に行かなければと思いましたが、結局、現地に行くことはできず、ブログ越しに祈ることしかできませんでした。
 そうしているうちに、だんだんと辺野古へ行って反対活動に関わりたいという気持ちが湧いてきましたが、これは沖縄だけで動いていても解決できることではないから、まず自分が住んでいる地域で何か行動を起こさなければいけないのではないかと思うようになりました。
 街頭でプラカードを持ちながら訴えるとか、署名活動をするとか何かしらの方法はあったはずですが、結局、一人で行動する勇気がなく、日々の生活に流されて、何もできませんでした。
 そして最終的に、思い切って辺野古に行って、現地の反対活動に関わってみようと決意しました。最初は行く気満々でしたが、実際に現地に近づくにつれ、「まず自分の住んでるところで、何か行動をしてから来い」とか、「基地問題についてちゃんと勉強してから来なさい」と言われて、追い返されてしまうのではないかという不安な気持ちが強くなり、テント村に着いた時は、内心かなりビクビクしていました。
 しかし、テント村の人達はみなさん、僕をとても快く受け入れてくれ、それまでの不安は一気に吹き飛び、ホッとしました。
 それからは名護市に住みながら、できるだけテント村の座り込みに参加しています。テント村では、いろんな人たちから辺野古の反対活動の話を聞き、今まで基地を作らせないように、命をかけて、どれだけ必死に闘ってきたのかを知り、とても驚くとともに、深く感動しました。日々、県内外からいろんな人たちが訪れるので、辺野古以外の話も聞け、非常に勉強になります。辺野古での座り込み以外にも、ヘリパッドが作られようとしている高江や埋め立て工事が行われている泡瀬干潟、県庁、名護市議会にも行き、様々な角度から沖縄の基地問題について考えることができました。
 そして、徐々に、「この辺野古と高江の基地建設をめぐる問題を本土の人達にも知ってもらわなければいけない。これは、沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題だ」と思うようになり、ブログを開こうと考えました。
 しかし、今までブログをやったことはないし、日中は辺野古で座り込み、夜はバイトという生活を送っているから、頻繁に更新することは難しいなぁと思い、ブログを作ろうか躊躇していました。
 それで、今回ブログを開こうと決心したきっかけは、つい先日、辺野古のテント村で企画された平和ツアーでした。6月23日の沖縄戦終戦の慰霊の日が近いということで、南部の慰霊塔をめぐり、そこに書かれた碑文を読み解きながら、沖縄戦について勉強するというものでした。そして、最後に平和祈念公園にある平和の礎に行き、そこで慰霊をしている遺族のそばに行って、亡くなった人のことなどについて聞き取りをし、遺族の方々がどのような気持ちで慰霊をしているのかを知るということをしました。
 遺族の人に沖縄戦で亡くしてしまった親族のことについて聞くということに、かなりためらいの気持ちがありましたが、思い切って聞いてみました。最初は、亡くなった方の名前を探しているおばあさんのそばに行き、一緒に名前を探すのを手伝いました。そのおばあさんは、兄を沖縄戦で亡くしたそうで、名前を見つけると、震える手で、石に刻まれた名前をさすり、お祈りをしていました。その光景を目の前で見て、のどが詰まり、何とも言えない気持ちになりました。そのおばあさんは、祈ってすぐに立ち去ってしまい、話を聞くことができなかったので、今度は孫を連れて慰霊にきていたおばあさんに話しかけてみました。
 そのおばあさんは、祖父母を亡くし、車いすに座ってお祈りをしていました。そのおばあさんとは、少し話ができましたが、途中会話が途切れ、おばあさんが少し手を震わせながら、戦争で亡くした祖父母の名前をずっと見つめていた時の沈黙が、僕はとても辛かったです。おばあさんは、戦争が終わってから64年間、片時も忘れることなく、毎年祖父母に対してお祈りをし、あの地獄のような戦争のことを思い出しているんだと思ったとき、本当に深い悲しみに襲われ、そのおばあさんにどう話しかけていいのか全くわかりませんでした。やはり、生で感じる遺族の悲しみがどれだけ深いものなのか痛感させられました。
 その遺族の人達の悲しみを感じた時、ブログを開かなきゃいけないと強く思いました。そして、今日は64年目の慰霊の日です。64年も経っているのに、未だに戦争はなくなりません。それどころか、辺野古の海に新しい基地が作られようとしています。
 戦争がこの世からなくなるように、そして遺族の人達の悲しみを無駄にさせないためにも、このブログを通して、一人でも多くの人に辺野古と高江の基地建設問題のことを知ってもらい、新基地建設を中止させたいと思います。
 
[PR]

by kohtaboy_gabihan | 2009-06-23 22:34 | はじめての方へ