海と山を結blog☆


山は海に流れ流れて、海は山に降りそそぐ。全てのいのちはめぐりめぐる。
by kohtaboy_gabihan
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憲法と安保
from 辺野古と高江に軍事基地は作ら..
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辺野古の新基地建設問題 part 7

 辺野古沿岸案に決定された後、防衛省は当時の守屋防衛事務次官(ゴルフ接待などの汚職で逮捕された)の企画・指揮のもと、環境アセスメント法違反を承知の上で、2007年4月から海域の「事前調査」を強行してきました。

 海上保安庁の巡視艇やボートに守られながら、30隻以上の調査船・警戒船を展開し、3日間で100個以上の調査機器が設置されてしまいました。

 ジュゴンの鳴き声を調べるパッシブソナーや水中ビデオカメラ等が海中に設置されましたが、これらの機器はとても大きく、「こんな大きいものがあったら、警戒心の強いジュゴンは近づかなくなるし、逆にジュゴンを追い出すことで基地建設を肯定しようとしているのではないか」という批判もあがっています。

 さらに、5月18日には、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」を派遣して、作業を着手してきました。この掃海母艦は大砲と機関銃を備えており、基地建設に反対しているだけの罪のない市民に銃を向けるという暴挙に出たのです。

 こちら側も毎朝6時に集合し、15名程で阻止行動を展開しましたが、今回はダイバーが潜って調査機器の設置を阻止するという海中での阻止行動になったので、防衛局の多数のダイバーの前では、思ったように阻止できませんでした。

 そうした中、海中で阻止行動をしているダイバーのガスボンベを防衛局の作業員が閉めるという殺人未遂事件も起こったのです。

 また、2004、5年のボーリング工事阻止行動の時には、中立的な立場から現場の状況を監視していた海上保安庁が、今回は防衛局側につくようになり、こちら側の阻止行動を妨害するという姿勢をとってきました。翌年からは海上保安庁のゴムボート4隻がキャンプ・シュワブ内に常駐し、迅速に阻止行動に規制をかけてくるようになってきたのです。

 さらに、調査範囲が辺野古周辺の海域にまで広がり、テント村からは攻防戦の一部しか見えなくなったために、阻止行動は困難を極めました。

 これらに加え、海中での阻止行動の取材がしにくくなったために、マスコミもあまり来なくなり、そのため世間の関心が薄れていってしまったことや、2004、5年の海上阻止行動に参加していた人達がそれぞれの生活に戻り、参加できる人が少なくなったことも大きな問題でした。

 次回に続く・・・

 ※環境アセスメント法(環境影響評価法)・・・大規模な開発事業の内容を決めるに当たって、それが環境にどのような影響を及ぼすかについて、事業者自らが調査・予測・評価を行い、その結果を公表して国民、地方公共団体などから意見を聴き、それらを踏まえて環境の保全の観点からよりよい事業計画を作り上げていこうという環境アセスメントについての手続きを定めた法律。アセスメントとは、「評価、査定」という意味。詳しくは、「環境影響評価情報支援ネットワーク」のホームページをご覧ください。
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いつかこの鉄条網が撤去され、向こうの浜まで行ける日が来たらいいですね。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-30 13:13 | 辺野古新基地建設問題

県庁に行って思ったこと

 5月の終わり、僕が沖縄に来てまだ間もない頃、沖縄県庁に行く機会がありました。それは、去年度で環境影響評価法(環境アセスメント法)に基づく辺野古海域での環境現況調査は終わり、環境影響評価の準備書が公告・縦覧されたのに、その後も現場では調査が続けられ、沖縄防衛局は「アセス法とは関係のない自主的調査」という名目で、県に「公共用財産使用協議書」を申請していたことを知り、県にその協議書に同意しないように要請するためでした。

 県知事は、ジュゴン等に関して複数年の環境現況調査を沖縄防衛局に回答していましたが、結局、防衛局は1年間だけの調査しか行いませんでした。つまり、今回の調査続行は、昨年度の調査をもとに作成した準備書の内容が不十分であったことを示し、また環境アセス法を空洞化してしまうものです。

 2004年のボーリング調査以前は、辺野古の海にジュゴンがえさである海草を食べに来たことが確認されていますが、その後は調査のために作業船が頻繁に往来していたために、ジュゴンが近づけないような状況になっていたので、今年は調査も行われないから、ジュゴンが戻ってくるかもしれないと期待していた矢先に再び調査が続けられたのです。

 その日は県庁の土木建築部海岸防災課の職員に申し入れを行うことなっていて、小さな会議室にこちら側からは20名近くの人が詰めかけ、3名の県職員と議論を行いました。

 しかし、県職員の方はあらかじめ答える範囲を決めており、こちらが様々な質問をしても、同じ答えしか返ってこず、全く議論になりませんでした。

 僕はただそのやりとりを見ているだけでしたが、そうした県職員の回答に強い憤りを感じ、罵倒したくなりましたが、大声を張り上げてしまっては何にもならないし、逆に相手の思うつぼになってしまうと思い、必死にその感情をこらえていました。

 約40分間の議論でしたが、結局何も成果を得られず、怒りとやるせなさで胸が一杯でした。

 しばらくしてから平静を取り戻し、僕はふと「あの県職員たちは、本当に基地建設に賛成なのだろうか」と思いました。

 あの会議室にいた県職員たちは、「人間」ではなく、「ロボット」でした。ただ同じ答えを繰り返すだけで、議論をしようとはしませんでした。

 でも、仕事が終わって、制服を脱いだ時に話したら、実は、「私も基地建設には反対なんだよ」と言うんじゃないかと思いました。

続きはこちら
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-24 13:44 | 政治/ 行政

テント村の看板犬 「ポチ」

 辺野古のテント村には、「ポチ」という看板犬がいます。

 この犬は、辺野古のある漁師から、「自分では飼育することができなくなってしまったから、代わりに飼ってくれないか」と頼まれ、テント村の方で引き取って、育てている犬です。

 この漁師は、海上でのボーリング工事を阻止する行動が行われていた時は、防衛局に作業船としてチャーターされ、阻止行動をする人たちと闘っていました。

 しかしながら、その漁師は、最初はテント村の人たちを「敵」だと思っていたそうですが、時が経つにつれ、そうではなかったことに気付き、やがて、自分の犬を代わりに育ててくれないかということまで、テント村の人達に話せるほどに打ち解けていったのです。

 なので、最初は「敵」だと思っていた相手でも、暴力を振るうことなく、長く根気よく対話をしていけば、いづれは血の通った人間的な付き合いができることを、ポチは証明しているのではないかと思います。

 ポチはとても人なつっこく、知らない人には全く吠えず、一度散歩に連れてった人や餌をあげた人には、ねだってすごく吠えます。というわけで、一度行われた番犬テストには、見事不合格となりました(笑)

 また、海が嫌いらしく、絶対に海には近付こうとしません。でも、無理やり海に連れて行かされると、必死に犬かきをして、戻ってきます。たまに船に乗って、海に出ることもあります。もちろん、船に乗るのも嫌がってます(笑)

 テント村のポスターにも載るほどの人気犬のポチに、ぜひ会いに来てください。そのついでに、辺野古の基地建設問題のことも知っていってもらえるとうれしいです。。。
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テント村の看板犬「ポチ」
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-23 12:57 | テント村

辺野古のテント村

 辺野古のテント村は、2004年に作られ、それから今まで休むことなく続き、座り込み日数は1900日を超えました。テント村ができる前は、辺野古のおじいやおばあたちが1997年に「命を守る会」を結成し、約8年間(2639日)活動してきました。その後は、ヘリ基地反対協議会が命を守る会の活動を支援する形で引き継ぎ、テント村の運営管理をしています。命を守る会の活動から数えると、辺野古の新基地建設反対運動は、現在まで約12年以上経過しています。

 テント村は朝8時から夕方16時まで毎日活動しています。海上阻止行動をしていた時は、朝5時頃から船を出したり、24時間体制で活動していた時期もあったそうです。

 辺野古のテント村には、常連メンバーや定期的に参加される人達、沖縄に来てから辺野古のことを知って訪れた人達など、様々な人達が座り込みに参加しています。年齢、職業、宗教も多種多様で、学校の先生、生徒から政治家、サラリーマン、主婦、フリーター、牧師、僧侶など、全国各地から、時には海外からも多くの人達が集まります。また、週に一度は辺野古のおじいやおばあたちがテント村に来て、うちなーぐち(沖縄の言葉)でゆんたく(おしゃべり)をします。このように、辺野古に行くたびにいろいろな人たちから話を聞けるので、とても面白く、また勉強にもなります。

 これ以外にも、日本各地から修学旅行生や労働組合員の人たちなどが訪れ、基地建設問題についての説明を聞いたり、実際に船で海に出て、建設予定地を見たりしていきます。辺野古を訪れる人はみんな、「このきれいな海に基地は作ってはいけない」という思いを抱いて、帰っていきます。辺野古にいると、今回の基地建設問題がいかに関心の高い問題かがよくわかります。

 辺野古のテント村の反対運動は、沖縄本島近くにある伊江島で、戦後米軍から強制的に奪われた自分たちの土地を取り戻すための闘いを引っ張ってきた阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんの「完全非暴力」の精神を大切にしています。それはつまり、「弱さ」を武器にして闘うということです。

 海上阻止行動の時にも、防衛局の作業員から暴力的行為を受けても、こちらからは一切暴力は振るいませんでした。相手が大型船でやってきても、こちらは小型船やカヌーで立ち向かい、「大型船は小型船の通行を妨害してはいけない」という海上のルールを利用して、闘いました。「弱くても、たくさん集まれば強いものに立ち向かえる」ということを証明し、最終的に辺野古沖の海上基地建設を断念させることに成功しました。

 そのせいかわかりませんが、辺野古のテント村には女性の方がたくさん参加しています。たとえ、相手が体格のいい米兵や作業員であっても、知恵を絞れば、「弱さ」を武器にして闘うことができるのです。

 もし、辺野古のテント村の座り込みに興味をもったら、沖縄に来た時に一度立ち寄ってみてください。テント村までの行き方は、「辺野古浜通信」の左欄に書いてあります。

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辺野古のテント村。目の前にはきれいな海が広がっています。
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内部では、ジュゴンや海上阻止行動の時の写真などが展示されています。写真横には、千羽鶴ならぬ「千頭ジュゴン」が飾ってあります。
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テント村の座り込みは1900日以上続いています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-17 14:39 | テント村

辺野古の新基地建設問題 part 6

 「沿岸案」は、今回計画されたものではなく、ベトナム戦争時にアメリカが計画したものによく似ています。この時は、アメリカに財政的余裕がなく建設されることはありませんでした。

 しかしながら、もしこの沿岸案が実現されてしまうと、再びベトナム戦争のような悲惨な戦争が繰り返されることになると言っても決して過言ではないと思います。しかも、滑走路に加え、軍港が建設されることも予想されるので、辺野古の海に巨大な軍事要塞ができることになってしまうのです。

 キャンプ・シュワブをはさんで辺野古の海の反対側には、多様な生物の宝庫として知られている大浦湾が広がっています。ここには、ジュゴンをはじめとして、ウミガメ、トカゲハゼ、クマノミ、イソギンチャク、サンゴなどが生息しています。大浦湾は、自然豊かな沖縄を代表する海の一つですが、沿岸案によって、この大自然が破壊される危機に直面しています。

 沿岸に基地を建設するためには、大量の埋立土砂が必要になります。その量は約2100㎥にものぼり、沖縄防衛局は、そのうちの1700㎥を沖縄近海から採取すると言っています。それは、沖縄県内における海砂の年間採取量の12.4年分に当たります。

 わかりやすく説明すると、深さ1m、幅100mの海砂を長さ170kmにわたって採取することになります。沖縄本島の南北の長さが約130kmですから、それ以上の長さになるわけです。ダンプカーに例えると、340万台分の量になります。

 これだけの海砂が基地建設のために一度に採取されれば、辺野古の海だけでなく、沖縄全体の海が大きなダメージを受けることになります。きれいな海を武器に観光客を呼び込んでいるにも関わらず、その海が大きく破壊されることになってしまうのです。

 さらに、辺野古周辺に住む約5000人の人々の水がめとなっている辺野古ダム周辺からも約30ヘクタールの土砂を採取することになるので、住民の飲み水も危機にさらされています。

 また、飛行機を毎日洗浄するとなれば、大量の洗剤が必要とされ、その洗剤を含んだ水が海に流されれば、さらに大きな環境破壊を受けます。

 このように辺野古に基地が建設されれば、辺野古だけでなく、沖縄全体が大きな環境破壊を被ることになります。日本、アメリカ両政府は、今回の基地建設を含めた在日米軍再編は沖縄県民にとって基地の負担軽減になると言っていますが、これは決して負担軽減にはつながりません。

 このことは沖縄だけの問題ではありません。辺野古沿岸に基地を建設するために必要な費用は、約1兆円にも上り、辺野古基地建設を含めた今回の在日米軍再編費用の総額は、約2~3兆円になると言われています。この費用は、全て日本国民の税金が使われます。つまり、総額3兆円であるとすると、国民一人あたり約2万3千円の負担になり、定額給付金で受け取ったお金よりも2倍近く多い税金を、基地建設のために払わなければいけないことになります。

 沖縄に住む人々だけでなく、日本に住む人々全員がこの基地建設問題に関心を向けて、ともに考えていかなければなりません。

 まだまだ続きます・・・
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 海上では基地建設はされていませんが、キャンプ・シュワブ内では次々と新しい建物が建設され、在日米軍再編の準備が進められています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-13 12:53 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 5

 辺野古沖案を断念させることに成功したものの、2005年10月29日、日米両政府は、日米安全保障協議会を開き、その米軍再編中間報告において、辺野古沿岸に基地を建設することを決定しました。

 基地が沿岸に建てられるということは、その分住宅地に近付き、住宅地上空を戦闘機や軍用ヘリが飛ぶことになるので、当時の岸本名護市長、稲嶺県知事は、沿岸案に反対の意を示しました。さらに、2006年3月には、沿岸案撤回を訴えるために、県民大会が開かれ、3万5千人もの人々が集まりました。

 しかしながら、2006年4月7日夜、当時の額賀防衛庁長官は、島袋名護市長と東宜野座村長(共に現職)と協議し、米軍機が陸上部を飛ばないよう、V字型に滑走路を造ると説明し、島袋市長と東村長は基本合意書に署名をしてしまいました。

 ところが、同じ日に東京で開かれた日米協議で、米軍は「陸上部を飛ぶ」と主張していたことが、ジュゴン訴訟に出された米軍報告書で判明したのです。つまり、昼に米軍は「陸上部を飛ぶ」と言っていたにもかかわらず、日本政府は、夜の協議では「陸上部は飛ばない」と説明して、沖縄に合意させたのです。

 このジュゴン訴訟とは、2003年、新基地建設の米国側の責任を問うために、沖縄ジュゴンと地域住民、そして日米の環境保護団体が原告となり、米国防総省・国防長官を被告として、サンフランシスコ連邦地裁に提訴した訴訟のことです。2008年1月23日、裁判長は被告に「米国文化財保護法にもとづき、ジュゴンの保護策を示せ」との判決を下しました。

 このジュゴン訴訟において米国が出した資料によって、新基地建設に関する様々なことが明らかになりました。
 ①陸上部を飛ぶ
 ②ヘリコプターや戦闘機に実弾を積む場所(普天間基地にはない)を作れ
 ③214mの軍港が必要
 ④故障した飛行機の移動方法を検討せよ
 ⑤毎日、飛行機を洗浄する場所を示せ
 ⑥キャンプシュワブ陸上、辺野古ダムの環境調査をすべき
 ⑦騒音コンター(騒音地図)はどうなっているか示すべき

 これらの事実が明るみに出たことで、沖縄防衛局は、追加説明資料を提出しました。そこには、埋め立てのために沖縄近海で大量の砂(1700万㎥)を採取する、辺野古の海に920mもの誘導灯、大浦湾に430mの誘導灯を作ることが明記されていました。

 こうした事実が隠されたまま、基地建設に向けた準備が着々と進められ、2006年5月には、日米安全保障協議会において米軍再編が最終合意に至りました。さらに、沿岸案に反対していた稲嶺県知事も、額賀防衛庁長官と共に、「基本確認書」にサインをしてしまったのです。

 part6に続く・・・
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 新しく建設されようとしている辺野古沿岸案の地図
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-10 13:51 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 4

 海上に建つ単管やぐらにも、冬の北風は容赦なく吹きつけました。施設局は隙あらば建設着工を強行してくるため、いかなる時でも油断はできませんでした。

 作業船が単管やぐらに向かってくる。やぐらに緊張がはしる。まず、阻止態勢をとり、作業船の横付けを阻む。そして、水温の低い冬の海に飛び込んで作業を阻止することもたびたび。

 連日、日が昇る前に出港し、日中を海上の阻止行動に費やしました。日常生活は犠牲にせざるを得ませんでした。度重なる阻止行動の疲れによって、体力、精神力はともに限界を超えていました。

 2005年4月下旬、施設局は自らが決めた約束(ジュゴンの生態に配慮して、夜間作業はしない)を破って、夜間から未明にかけて作業をし、単管やぐらの周囲に進入防止の金網を張り巡らせました。

 そのため、阻止行動をする人たちは、金網をよじ登ってやぐら内部に入りました。その日からは夜間も含めた24時間の海上阻止行動を開始しました。24時間体制は、その後40日間続きました。

 2005年9月2日、施設局は台風対策という理由で、全ての単管やぐらを撤去しました。

 単管やぐらは、9ヵ月という長期間にわたり、海上に設置されていたため、さびついて修理もできなくなり、撤去せざるを得なくなっていました。施設局が当初の辺野古沖案で計画していた63箇所のボーリング工事は結局、1箇所も着工させなかったのです。

 命を守る会とヘリ基地反対協議会が長きに渡って止め続けてきた基地建設。そして、日本全国、全世界に広まった基地建設を止める行動によって、辺野古沖案を事実上断念させることに成功したのです。

 これは、平和を願い、行動してきた人たちの大きな成果です。

 ところが・・・
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 辺野古の浜と米軍基地キャンプシュワブを隔てるフェンス。多くの人が平和への願いを布に書いて、フェンスに結んでいきました。フェンス奥には、米軍の監視カメラが設置されています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-05 14:42 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 3

 施設局は、何度も予告なしに辺野古へやってきて、基地建設を着工しようとしました。漁港手前での話し合い(説得)は毎回長時間に及びました。施設局は5ヵ月の間に32回来ましたが、座り込みによって全て押し返しました。この間、辺野古近くまで機動隊がやってきて、待機していたこともありました。テント村の人たちは、毎日朝5時頃から座り込みを始め、毎回話し合いが終わるたび、安堵すると同時に、次は機動隊が投入されるかもしれないというプレッシャーを感じていました。

 辺野古で座り込みが続く中、2004年8月13日、宜野湾市にある普天間基地の米軍ヘリが、沖縄国際大学構内に墜落炎上するという大事件が起きました。「こんな危険な基地は即時閉鎖せよ」との世論が盛り上がるのに対して、日本政府は「危険な普天間基地は早く辺野古に移設する」と県民を愚弄し、道理に合わない理屈をもって、辺野古新基地建設を急がせたのです。しかし、この米軍ヘリ墜落事件のことは、同じ時期にアテネオリンピックが開催されていたために、本土ではほとんど報道されず、本土に住む多くの人が知らぬまま、新基地建設の準備が進められていったのです。

 米軍ヘリ墜落事件から半月後の2004年9月9日、施設局は基地建設の強行を発表しました。それに対して、日本全国から400人を超える人たちが、基地建設を阻止するために座り込みテントに結集しました。

 しかしながら、施設局は400人以上が座り込む辺野古漁港へ強行突入せず、米軍基地キャンプシュワブの浜から出航し、辺野古海上で作業を開始しました。この日からカヌーや船、海への飛び込みによる、完全非暴力による基地建設海上阻止行動が始まったのです。

 連日必死に阻止行動を展開しましたが、施設局の暴力的な建設作業によって、2004年11月下旬、海上に基地建設のためのボーリング工事用の単管やぐらを4つ建てられてしまいました。やぐらは、縦横4m、海面からの高さが5~6mにのぼるものでした。それからは毎日やぐらの上で必死に抵抗し、ボーリング工事を止め続けました。

 2004年11月16日、沖合のボーリング工事を強行するため、施設局の大型機重船が辺野古の海に現れました。しかし、カヌーや船、海に飛び込んだ人たちによって、それを追い返しました。

 その後11月20日には、施設局がスパット台船(海上でボーリング工事をするための大型船)の設置を強行しますが、海底に鉄杭を下ろして設置するため、大きなサンゴ礁破壊を及ぼすことになります。サンゴ礁の破壊は国内外の批判にさらされ、結局、台船は引き揚げていきました。スパット台船はその後2回にわたって設置されようとしますが、いずれも阻止しました。

 2004年12月、単管やぐらにおける攻防が激しくなりました。海上阻止行動をする人たちの中には、施設局の暴力行為によって、病院に搬送される人も出るようになりました。

 そうした状況を知った近隣の海人〔ウミンチュ〕(漁師)たちは、辺野古の海、沖縄の海を守るために、海上阻止行動に加わりました。この海人の参加によって、阻止行動は大きく好転していったのです。

 part 4に続く・・・
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辺野古の浜から見る米軍基地キャンプシュワブ
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by kohtaboy_gabihan | 2009-07-04 13:52 | 辺野古新基地建設問題