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山は海に流れ流れて、海は山に降りそそぐ。全てのいのちはめぐりめぐる。
by kohtaboy_gabihan
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憲法と安保
from 辺野古と高江に軍事基地は作ら..
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高江の新基地建設問題 part 4

 沖縄防衛局(国)は、なぜ通常の裁判ではなく、「仮処分申し立て」を行ったのかというと、通常の裁判では、判決が確定するまでに1、2年もかかってしまいます。そうなってしまっては、ヘリパッド建設工事の着手がどんどん長引いてしまうので、とりあえず「仮処分申し立て」を起こし、抗議を続ける住民を「通行妨害」ということで排除し、早急に工事に取り掛かりたいというのが、彼らの意図なのです。

 2009年1月27日、第1回目の審尋が行われ、7月27日まで合計5回の審尋が行われました。住民側の弁護団は、国策である基地建設に関わる裁判を、国民はチェックする権利があるとして、当初から審理の公開を要求していましたが、結局公開されませんでした。

 防衛局は、裁判所が求めた個々人についての具体的な説明はできず、「集団的・組織的な妨害行為だ」という主張の一点張りしかできませんでした。

 防衛局の主張では、非暴力の座り込み、抗議行動、防衛局への申し入れなどに参加したり、その呼びかけを行ったりしていること、反対運動団体に所属していること自体が妨害行為だというのです。

 これでは、国の政策に反対すれば、誰でも国家権力によって裁かれてしまうという、戦時中を思わすようなとても恐ろしい論理ができてしまいます。

 こうした国の誤った政策に抗議するため、仮処分の却下を求める署名は、全国各地から今年6月までに4万7千筆以上も集まりました。

 結局、7月27日の審尋においても決着はつかず、8月10日の3者(裁判所・住民・国)会議にて日程調整が行われ、10月3日に裁判官が高江に現地視察に行くことになりました。

 また、8月1日には、座り込み2周年の報告会が開催され、村内外から約200名の人達が参加し、ヘリパッド建設中止への決意を新たにしました。

 地道ではありますが、ヘリパッド建設反対の世論を少しずつ広げていくことで、辺野古の新基地建設とともに、これ以上米軍基地を作らせないようにしなければなりません。

 以上が、現在までの高江の基地建設問題の状況です。今後のことは、辺野古のことと共に、ブログに書いていく予定です。日々のことは、現地の人が書いているブログ「やんばる東村 高江の現状」をのぞいてみてください。

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ここでは、70歳近くになるおじさんが小さなトレーラーハウスで寝泊まりしながら、座り込みをしています。
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このように高江では、辺野古と違い、森の中での座り込みが続いています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-28 13:35 | 高江ヘリパッド問題

選挙と民主政治

 いよいよ今週末には、衆議院議員総選挙が行われます。

 選挙は、国民が政治家を選択できる唯一の機会であり、民主政治の基本ですから、有権者は全員選挙に行くのが原則です。

 しかしながら、今日の日本では、特に若い人達の政治離れが深刻で、投票率がとても低くなっています。僕自身も友達との間では、政治のことについてほとんど話すことがありません。「政治のことを話したってつまらないじゃん」、「政治なんて期待してもどうしようもない」という雰囲気、というか絶望感が満ちていて、あえて話そうという気持ちにならないというのが実情です。

 でも、これは若者だけの責任ではないと思います。政治家や官僚は汚職を繰り返し、国民をないがしろにし、また大人達もそれに対して大きな抗議を行ってこなかったこと、そのことも重大な責任なはずです。

 では、政治に関心もない、選挙にも行かないということでいいのか?

 決してそんなはずはありません。むしろ、それでは民主主義が崩壊します。

 選挙に行かないということは、つまり、「政治家さんたちの好きにやってください。私は何の文句も言いませんし、政治家さんたちに全て従います」と表明していることになるのです。政治の世界では、無投票は政府に対する「無条件の支持」と捉えられます。

 したがって、たとえ政府が独裁政治を行っても、または軍国主義に流れても、投票に行かなかった人達は、何の不平・文句も言うことができないのです。

 「政治に期待したって何も良くならない」と思っていても、選挙には絶対に行かなければなりません。

 もし、支持する政党がなかったら、白紙で投票すればいいと思います。白紙投票には、「今回の選挙では、私には支持できる政党がなかったから、もっと私のことを考えて政治をしてください」というメッセージが込められています。

 戦時中のような軍国主義の政治ではなく、民主主義の政治を求めるなら、絶対に選挙に行かなければなりません。民主主義の社会は、投票率100%が原則です。

 民主政治は、人民が創り上げるものです。人民が政治に関わらなければ、決して素晴らしい政治家は育ちません。現在そうした政治家が少ないのは、国民の間で政治への関心が弱まってきているからだと思います。
 
 ただ、現参議院議員である川田龍平さんは、無所属で「いのちの政治」を行っています。このブログからも川田龍平さんのホームページにリンクしているので、是非のぞいてみてください。

 そして、今週末の衆議院総選挙に行きましょう!
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 辺野古の海上を飛ぶアジサシ。辺野古や高江の基地問題についても、今回の総選挙が大きなカギを握っています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-25 13:20 | 政治/ 行政

高江の新基地建設問題 part 3

 北部訓練場には、5つのダムが点在し、沖縄本島の生活用水の60%を賄う貴重な水源地となっています。しかしながら、2007年には、それらのダムに投棄された弾薬類が1万発以上発見されました。さらに、前の記事でも書いたように、ベトナム戦争時、米軍は北部訓練場で枯葉剤を散布していました。

 このヘリパッド建設によって、ダム周辺でのジャングル戦闘訓練が激化し、さらなるダムの汚染が引き起こされる危険性があるのです。

 こうしたヘリパッド建設計画に対し、高江住民は2006年2月23日に、ヘリパッド建設反対の決議をしました。その後、関係機関に出向き、計画の見直しを要請しました。そして、2007年4月には、ヘリパッド反対を公約に、伊集(いじゅ)東村村長が就任しました。

 ところが、伊集村長は翌5月に、「公約違反と言われても仕方ない」と述べ、一転してヘリパッドの受け入れを表明したのです。

 そして、防衛局は同年7月2日、工事の着工を強行してきました。その日から高江の住民たちは、生活を犠牲にし、座り込みによる工事阻止行動を始めました。

 翌7月3日には、防衛局は訓練場進入路3ヵ所に仮設ゲートを設置し、ショベルカーの搬入や深夜作業の着手など多くの動きがありました。しかしながら、住民らによる徹底した非暴力の座り込みによって、大々的な工事の着手をさせませんでした。

 同年8月24日には、「『ヘリパッドいらない』住民の会」が結成され、以来、県内外から多くの人が座り込みの支援に訪れています。ただ、高江集落の中でも、実際に座り込みに参加できるのは、数世帯です。

 翌年2008年2月7日には、2万2千通集まった、ヘリパッド建設反対の署名を国会に提出しました。

 ところが、2008年12月16日、沖縄防衛局(国)は、座り込みを続ける住民ら15人を具体的に特定し、「工事車両の通行が不可能だ」として、通行妨害禁止の仮処分を裁判所に申し立てたのです。

 しかも、訴えられた15人の中に8歳の子供が含まれており、防衛局は大きな非難を浴びました。また、他の14人についても、彼らがいつ、どのような妨害行為をやったのか不明で、写真に人違いもあり、現場に行っていない人や既に引っ越した人も含まれているという、とてもでたらめな申し立てでした。

 これは、ヘリパッド建設工事が進まないことに焦った沖縄防衛局(国)が、座り込みを続ける住民を国家権力によって訴え、工事を強行させようとする、前代未聞の暴挙なのです。

 次回に続く・・・
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 高江の人達が座り込みをしているテントの1つ。北部訓練場には何ヵ所もゲートがあり、座り込みのテントは他にも数ヵ所あります。
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 このように北部訓練場では、米軍ヘリが低空で旋回訓練をしています。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-23 13:06 | 高江ヘリパッド問題

高江の新基地建設問題 part 2

 高江のヘリパッド建設問題の原因も、辺野古と同様に1995年に起きた米兵による少女暴行事件に遡ります。この事件を機に、沖縄県民の反米・反基地の感情に火が付き、その県民感情を抑えるため、日米両政府はSACO(沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会)を設置しました。

 県民の「基地の整理縮小」という要求を受けて発足したSACOですが、実際には「基地の先鋭化と再編強化」の意図が隠されていたのです。

 SACOの決定に、日米両政府が合意したというのが「SACO合意」です。このSACO合意により、北部訓練場の北側半分を返還するかわりに、返還予定地にあるヘリパッドを南側に移設すること、これまで無かった、海からのヘリパッドの進入路を建設すること、そして新機種「オスプレイ」の配備も決定していました。

 この合意の狙いは、県民に基地を返還したと見せかけて、実は広すぎてほとんど使われていない北側半分を返還しながら、訓練場の南側部分の機能をよりいっそう強化していこうとするものなのです。

 現在、訓練場では主に「CH46」というヘリコプターが、高江の上空を夜の10時過ぎでもかまわず訓練飛行をしています。あまりに低空飛行するため、民家に近い県道の脇の木々が倒されて、道路に散乱している事もあるのです。

 今でさえ、このように危険な状況であるにもかかわらず、新しく配備が決定されている「オスプレイ」は、「CH46」の航続距離の5倍、さらに積載量は3倍にもなります。そして、最大重量は機体と合わせ、27.5トンにもなるのです。

 しかも、速度が「CH46」の2倍にもなるので、爆音はとてつもない騒音となります。「オスプレイ」は、垂直離陸し、エンジンプロペラを前に出して飛行することができます。つまり、垂直離陸に加え、滑走で離陸することもできるので、その場合、垂直離陸に比べ、積載量が3.5トン増えます。

 6ヵ所のヘリパッド予定地のうち、2つがくっついているものが2ヵ所あります。それらは、オスプレイ滑走用の「オスプレイパッド」と専門家は見ています。

 しかも、オスプレイは2000年の時点で生産された15機のうち、3機が墜落し、別名「未亡人製造機(widow maker)」とも呼ばれているのです。このため、安全性が疑われ、米国内でも配備反対の意見が多く出ています。しかしながら、日本政府は未だにオスプレイの配備を隠しているのです。

 では、米軍再編によってオスプレイをはじめとする米軍機は、どこを飛ぶことになるのか?

 前に書いたように、高江と同じく「SACO合意」による普天間基地の名護市辺野古への移設計画があります。また、金武町(きんちょう)では、ギンバル訓練場の返還に伴うブルービーチ訓練場へのヘリパッド建設計画があります。

 やんばるの東側に位置する高江、そこから南へ約40kmに辺野古、さらに南に約20kmに金武町、そして、やんばるの西側海上には、伊江島飛行場があります。

 高江と金武町にヘリパッドが、辺野古に新基地が建設されたら、これらを基点にし、やんばる全域を危険な米軍機が飛び交うということが容易に想像できます。

 part 3に続く・・・
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 現在、在沖米軍が使用している「CH46」
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 新しく配備が決定された新機種「オスプレイ」
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-19 14:28 | 高江ヘリパッド問題

沖縄と本土の新聞

 8月15日の社説が、沖縄と本土の新聞でどう書かれているのか読み比べるのも面白いと思います。

 以下の社説のタイトルの所にカーソルをもっていって、クリックすれば各新聞社の社説が読めます。

 沖縄タイムス
 「[終戦記念日] 歴史に学ぶ非戦の決意
 琉球新報
 「終戦64年 沖縄を「平和」の要石に/被爆国の責務、有言実行を
 朝日新聞
 「あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける
 読売新聞
 「終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ
 東京新聞
 「終戦の日に考える 九条とビルマの竪琴

 沖縄では、お盆の時期に全島各地でエイサーが踊られます。子どもから大人まで、太鼓や獅子舞、龍などを使って元気よく踊っていました。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-17 12:11 | メディア/ マスコミ

8月15日と6月23日 後編

 平和の礎には慰霊に来ている人が大勢いましたが、どの人に声を掛けていいのかわからず迷っていました。そうしていると、亡くなった方の名前を探しているおばあがいたので、僕らはその人の名前を一緒に探すことにしました。

 亡くなったのはお兄さんで、名前を見つけると、おばあは震える手でお兄さんの名前をさすり、お祈りをしました。その光景を見た時、僕は胸がつまり、次の言葉が出ませんでした。

 おばあの方は、いきなり男2人が名前を一緒に探しますよとやってきて、何も言わずに自分のそばにいるので、怪しいと思ったのか、お祈りをしてすぐに帰ってしまいました。

 本当ならもっとゆっくりお祈りをしたかったはずなのに、僕らがずっといることで、おばあの居心地を悪くさせてしまったことに申し訳なく感じながらも、次の人を探すことにしました。

 今度は、車いすを孫に押してもらいながら、慰霊に訪れていた81歳のおばあに話しかけてみました。

 そのおばあは、祖父母を沖縄戦で亡くしたということでした。祖父の方は、琉球舞踊の有名な先生で、当時80歳ぐらいだったそうです。

 おばあは、沖縄戦の時は17歳で、母親や姉妹と共に熊本に疎開していたそうです。疎開する時に、おばあは祖父母に、一緒に熊本に疎開しないかと言いましたが、祖父母は「わしらは芋の根っこを食べてでも、沖縄に残る」と言って、断ったそうです。そして、祖父母は壕に避難していましたが、戦争の犠牲となり、遺骨は未だに見つかっていないと話していました。

 僕はその話を聞いた時、とても深い悲しみに襲われ、何とも言えない気持ちになりました。おばあの祖父母は、非常に無念の思いでこの世を去ったんだろうと思います。

 80歳になって熊本に疎開しても、沖縄と環境は違うし、戦時中なので、無事に生きて帰ってこれるかわかりません。そうだとしたら、やはり最後は自分の生まれ育った土地で、人生を締めくくりたいという気持ちになると思います。しかし、その人生の最後を、悲惨な戦争によってつぶされてしまったのは、本当に不本意なことだったはずです。

 また、おばあが熊本から帰ってきた時、沖縄の光景はどう映ったのかと思いました。

 沖縄戦では、当時約60万いた人口の4分の1の人々が犠牲になりました。熾烈な戦いにより、野や原も全てが焼け焦げていたと言います。

 おばあは当時17歳でしたから、64年たった今も当時の光景はよく覚えているだろうと思います。

 僕らがおばあの話を聞いていた時、何回も沈黙になるときがありました。その時、おばあは車いすに座りながら、祖父母の名前をじっと見つめて、その手は少し震えていました。

 そのおばあの姿を見て、64年たった今も戦争の悲しみは消えないし、おばあはその悲しみをずっと背負って生きてきたんだということを実感しました。

 聞き取り調査を終えた後も、後味の悪さと悲しく、やるせない気持ちがずっと続きました。

 また、この日は平和祈念公園にたくさんの修学旅行生が訪れていました。彼らは、ガイドに案内され、平和の礎でお祈りをしているおばあたちの横で、ガイドの説明を聞いていました。そのガイドは、慰霊をしている人達のことは全く説明せず、ただ旗を持って平和の礎について簡単に案内しているだけでした。

 その光景を見て僕は、「平和の礎は観光地なのか?そんな説明で修学旅行生に、慰霊にきている遺族の人達の思いがわかるのか?それで一体、沖縄の戦争の何がわかるのか?」と思い、とても残念な気持ちになりました。

 平和ツアーを通じて、戦争をなくすためには、戦争の犠牲になった人達やその遺族の悲しみを、多くの人が受け継ぎ、分かち合っていかなければいけないことを痛感しました。それが、本当の慰霊ではないかと思います。もし、この悲しみが忘れ去られてしまったら、また戦争が繰り返されるでしょう。

 同じ「日本」でありながら、沖縄と本土(沖縄県以外の「日本」)では、アジア太平洋戦争の終戦日の迎え方が大きく異なります。

 ここ最近、沖縄では、5年前の2004年8月13日に起きた沖縄国際大学における米軍ヘリ墜落事件に関する記事が、たくさん書かれています。おそらく本土では、この事件に関してはほとんど報道されていないと思います。また、戦後64年たった現在も、遺骨収集は行われています。

 一方、本土では、昨日8月15日に小泉・安部元首相らが靖国参拝を行いました。さらに、アジア太平洋戦争を含む日本の侵略戦争を美化してしまうような内容の中学の歴史教科書が、横浜市で採択されました。

 戦後64年たちましたが、今一度「あの戦争は何だったのか?」ということを学び、考え直す必要があります。そこから、戦争のない世の中にどうやったらできるのか、一人一人が考えなければなりません。

※「あの戦争」について学ぶためのおすすめの本
 『未来をひらく歴史-東アジア3国の近現代史-』、日中韓3国共通歴史教材委員会編、高文研、2005年、本体価格1600円
 東アジアの近現代史を日本・中国・韓国それぞれの民衆の立場から書かれており、とてもわかりやすく、勉強になる本です。
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-16 13:11 | 戦争/ 軍隊/ 歴史

8月15日と6月23日 前編

 今日、8月15日は、アジア太平洋戦争の終戦記念日です。全国各地で慰霊祭が行われ、多くの人々が先の戦争に思いをめぐらす日です。

 一般に、8月15日は「終戦の日」と思われていますが、実際には、この日は昭和天皇がラジオ放送を通じて、敗戦を知らせた「敗戦の日」です。

 では、正式な「終戦の日」はいつかというと、アメリカ軍艦の艦上で降伏文書の調印式が行われた9月2日です。

 しかしながら、沖縄での終戦はもっと早く6月23日です。なので、沖縄では6月23日を、「沖縄戦終戦の日」、「慰霊の日」として、県内各地で慰霊祭が行われます。

 僕がこのブログを開設したのも6月23日で、一番最初の記事で、沖縄の慰霊の日のことについて少し触れました。

 そこで、今日はその日のことについて、もう少し詳しく書きたいと思います。

 慰霊の日の2日前の6月21日に、辺野古のテント村で企画した平和ツアーに参加しました。テーマは、「慰霊塔の碑文から何を学ぶべきか」ということで、沖縄本島南部の慰霊塔を巡りました。

 まず、最初に行ったのは、摩文仁(まぶに)の丘で、そこには沖縄戦を指揮した牛島中将らを祀った黎明の塔や、各県ごとの兵士の慰霊塔があります。それらの慰霊塔の碑文を読むと、ほとんどは「祖国のためによく戦った」という意味のことが書かれており、犠牲になった沖縄の人々について書かれてあるのは、1つか2つくらいしかありませんでした。

 中には、「戦後の日本が繁栄したのは、祖国のために戦った兵士達のおかげだ」という、戦死を賞賛・美化してしまうような碑文まであり、驚愕しました。

 アジア太平洋戦争を体験した誰もが、「二度と戦争は起こしたくない」という思いで慰霊塔を作り、戦争の犠牲になった人達の冥福を祈った/祈っているはずなのに、それらの碑文をよく読むと、あの戦争への反省がないどころか、また新たな戦争を引き起こしてしまうような内容が書かれている碑文があることに驚き、やるせなくなりました。

 その後、何ヵ所か別の慰霊塔を見てまわった後で、最後に平和祈念公園にある平和の礎に行きました。平和の礎には、敵・味方、加害者・被害者の別なく、24万人以上の戦没者の名前が刻まれています。

 ちょうどその日は、慰霊の日の前の日曜日ということもあって、多くの人が慰霊に訪れていました。

 そこで、平和ツアーに参加した人達は、1人か2人に分かれて、慰霊に来ている人達に聞き取り調査を行いました。

 はじめに、ツアーガイドのおじさんが、聞き取りの方法を教えてくれました。まず、慰霊をしている人の斜め後ろぐらいに行って、「どの方が亡くなられたんですか?」と聞き、その後は「どういう方だったんですか?」というように、亡くなられた方について聞いていけば、いろいろと話してくれるということでした。

 僕は、戦争の傷を負っている人達に対し、いろいろと聞くというのは、さらにその人達の傷口を広げてしまうことになるんじゃないかと思い、あまり乗り気ではありませんでしたが、ツアーに参加していた大学生と一緒に聞き取り調査をしてみました。

 後編に続く・・・
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 摩文仁の丘から臨む海
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-15 15:21 | 戦争/ 軍隊/ 歴史

高江の新基地建設問題 part 1

 辺野古の新基地建設問題について書いたところで、いよいよ高江(たかえ)の基地建設問題について書きたいと思います。

 高江は、辺野古から北へ車で約1時間ほど行ったところにあります。高江は東村(ひがしそん)の北のはずれにある集落で、人口は約150人です。美しい山と川に囲まれ、子供達ものびのびと育っています。

 高江を含め沖縄本島北部の豊かな森に囲まれた地域を「山原(やんばる)」といいます。やんばるの森には、地球上でここだけにしかいないヤンバルクイナやノグチゲラ(いずれも鳥)などの固有種や絶滅危惧種が数多く生息しています。

 日本の全面積の0.1%にも満たないやんばるに全国の高等植物の27%もが自生し、また単位面積当たり本土の51倍の動物が暮らしているのです。

 やんばるは、たんに国内において貴重だというだけでなく、世界的に見ても生物多様性に富んだ重要な自然環境と言えます。その価値を多くの人が認め、世界自然遺産、そして国立公園の候補に挙がっています。

 しかしながら、この自然豊かなやんばるの真ん中に、総面積7,800ヘクタールという広大な米軍北部訓練場があります。この訓練場は、ジャングルでの戦闘訓練を目的に1957年に使用が始まり、その3年後に開始されたベトナム戦争でのゲリラ戦の訓練が行われました。また、ベトナム戦争時には、この訓練場でも枯葉剤が使用されていたのです。

 1998年には、北部訓練場は、世界で唯一のジャングル戦のための戦闘訓練施設として、「ジャングル戦闘訓練センター」と名称を変えました。そこでは、海兵隊のサバイバル訓練やヘリコプターでの移動宙づり訓練、模擬弾を使用する射撃訓練など、戦場さながらの訓練が行われています。

 現在でも、東村には15ヵ所のヘリパッドがあり、高江に住む人々は爆音や墜落の危険にさらされています。今度は、そこへ新たに高江集落をまるで取り囲むようにして、6ヵ所のヘリパッドの建設が予定されています。一番近い民家からわずか400mという距離なのです。

 ヘリパッドとは、ヘリコプターの離着陸帯のことです。やんばるの森を切り開き、直径75mの円形に造成して作られます。やんばる全体で見たら、小さな点かもしれませんが、米軍ヘリが飛び交うことにより、それらの点が線に、線が面になり、豊かな生態系と住民の暮らしに与えるダメージは計り知れないものとなるのです。

 part 2に続く・・・

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 米軍ジャングル戦闘訓練センターのゲートの1つ
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-10 13:56 | 高江ヘリパッド問題

辺野古の新基地建設問題 part 10

 しかしながら、準備書の縦覧後、防衛省は再び法令の根拠もなく、「補足調査」と称し、「事前調査」と同様な調査を行っています。この調査は現在も行われており、来年2010年3月末まで行われる予定です。この違法調査に対し、約8.6億円もの国民の税金が使われているのです。

 これは、調査に名を借りた「ジュゴンの追い出し」としか考えられないものです。

 そこで、こちら側は、環境アセスメント法を無視しながら調査を続けている防衛省、つまり国に対し、裁判を起こすことになりました。こちらとしては、2つの柱を立てて提訴する予定です。

 1つ目は、環境アセスメント法に違反する行為を行ってきた/行っていることの確認の訴えです。防衛省がこれまで行ってきた方法書や準備書は、アセス法に違反するものであって、法律に基づいてきちんと行われていれば、事業内容も変わっていたはずです。したがって、方法書の再作成から手続きをやり直す義務があることを確認し、アセス手続きのやり直しを求めます。

 もう1つは、損害賠償請求の訴えです。住民には、意見を述べる権利がありますが、防衛省によりそうした機会を奪われ、違法な環境破壊がなされることに対して、賠償を求めます。

 そこで、現在原告に参加していただける人を募っています。参加費用は、1人2000円です。詳しい手続きの内容は、ヘリ基地反対協議会のホームページに記載されています。こちらからどうぞ。
 http://www.mco.ne.jp/~herikiti/justice.html
 一人でも多くの人に参加していただけたら、とても力強いです。よろしくお願いします。

 しかしながら、この裁判は、もう一度アセスの手続きをやり直すように求めるもので、これに勝訴すれば、基地建設が白紙撤回になるというわけではありません。現在の日本の環境アセスメント法は、計画されている事業ができるだけ環境に負荷をかけない形で実施されるよう、環境調査を行うというものであって、その土地の自然がいかに豊かであって、事業により破壊されることになっても、事業を中止にする程の法的な力がありません。

 アメリカでは、ゼロ・オプションという形で、事業の実施によりその自然の生態系が大きなダメージを受けることが明らかな場合は、事業計画が中止になることもあります。しかしながら、日本の環境アセス法には、そのゼロ・オプションがないということが大きな問題なのです。

 では、この基地建設を白紙撤回に持ち込むにはどうしたらいいのか?

 それは、国民が「基地はいらない!!」と声をあげ、政府の方針を変更させるしかありません。政府は国民のためにあるのだから、多くの人が声をあげれば、基地建設を撤回させることができます。

 そのために、今回の裁判に多くの人が参加してもらえることが大切になります。これをきっかけに、基地建設反対行動が大きなうねりとなれば、辺野古沖合案の阻止行動の時のように、再び基地建設を断念させることができるはずです。

 この小さな沖縄島だけでは、限界があります。沖縄以外の場所に住む人達がこのことに関心をもってもらうことが、非常に重要なのです。再び、「戦争の道」を日本が歩まないためにも、今度の裁判の原告に参加してください。よろしくお願いします。

 今後の辺野古の基地建設問題の経過は、この裁判のことも含めて、追々ブログに書いていく予定です。

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 辺野古の浜の入口にある看板。でも、何やら書き込みが・・・
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-06 14:08 | 辺野古新基地建設問題

辺野古の新基地建設問題 part 9

 沖縄防衛局による「環境現況調査」に対し、こちら側は、マンタ法によるジュゴンの食み跡調査やサンゴと海草・藻場のライン調査、それにパッシブソナーの設置作業の阻止行動を展開しました。

 しかしながら、2007年と同じように海上行動参加者が少なかったこと、さらに海上保安庁がキャンプ・シュワブ内に常駐し、こちら側の動きに目を光らせるようになったことで、阻止行動は思ったような成果をあげられずに、防衛局による海上調査は2009年3月まで行われました。

 海上だけでなく、陸上においても反対活動は行われ、県庁や沖縄防衛局に対する抗議活動や周辺住民への基地建設問題に関する広報活動など、様々な反対行動を展開しました。

 加えて、2008年6月に行われた沖縄県議会選挙では、12年ぶりに与野党が逆転しました。こちら側は、県民集会の開催等、様々な行動を起こし、県議会に対して、「新基地建設反対決議」の要請行動を行いました。

 そして、2008年7月18日、県議会の傍聴席を約150名の一般市民が埋め尽くす中、「辺野古新基地建設撤回決議」が採択され、喜びの拍手喝采が起こりました。しかしながら、仲井真県知事は、同日、県議会決議後、基地建設推進派の第8回移設協議会に参加したのです。

 翌2009年3月に「環境現況調査」が終了し、4月2日から5月1日までアセス法の2番目の手続きである「準備書」が公告・縦覧されました。しかしながら、準備書は約5400ページにもわたり、一般市民が読むには余りにも長く、中身のなかった方法書に比べると、嫌がらせとしか思えないようなものでした。

 さらに、方法書には記載されていなかった新たな事業内容や、米軍機が民間地域を飛行しないなどと書かれており、虚偽を前提としたものにすぎなかったのです。これでは、方法書を前提として準備書を作成するという、環境アセスの基本的手続きをも無視し、違法であると言わざるを得ません。

 このずさんな準備書に対する一般市民や専門家の意見書が、全国各地から5800通以上防衛局に送られました。方法書に対する意見書が約500通だったので、その時の10倍以上の意見を民衆が防衛局に突き付けたのです。防衛局は、これらの市民の意見をちゃんと事業計画に反映させなければなりません。

 次回part10に続く・・・
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 辺野古基地建設反対運動を一番最初に展開した「命を守る会」の事務所。おじい、おばあの思いを引き継ぎ、今も使用しています。
 
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by kohtaboy_gabihan | 2009-08-04 13:05 | 辺野古新基地建設問題