海と山を結blog☆


山は海に流れ流れて、海は山に降りそそぐ。全てのいのちはめぐりめぐる。
by kohtaboy_gabihan
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憲法と安保
from 辺野古と高江に軍事基地は作ら..
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ハゲを生きる ~後編~

 日本とメキシコの間における、「ハゲ」に対する見方の2つの違い。

 1つは、「言葉」の違いです。

 日本語の「ハゲ」という言葉には、「ハゲている」という意味の他に、蔑視の意を含んでいます。僕も小さい頃友達とけんかすると、相手は別にハゲていないのに、「クソハゲ!!」などと悪口を言っていた覚えがあります。

 一方、メキシコ語(スペイン語)の「ハゲ(calvo)」は、「ハゲている」ことを示すだけで、その言葉自体に軽蔑の意はありません。なので、メキシコには日本のように「ハゲ!」と罵って、ハゲの人を見下すという文化はありません。

 実際、去年メキシコに3ヵ月間滞在していた時に、僕より年下なのに僕よりハゲている人と知り合いましたが、彼は別に「ハゲちゃったよ。どうしよう?」などと言って悩んでいる様子は全くなく、他のメキシコ人と同じように「アミーゴ!」と言いながら、陽気に振る舞っていました。彼だけでなく、他のハゲているメキシコ人も同じでした。また、現地のテレビを観ていても、育毛剤のCMは同じモノが一部のチャンネルで1日数回流れるだけでした。

 つまり、日本人がハゲることを嫌がるのは、「ハゲ」という言葉にネガティブな意味が含まれているからだというのが理由の一つとして挙げられます。

 そして、もう1つはその国に住む人々の「気質」の違いです。

 昨年末メキシコから日本に帰ってきて深く感じたことは、日本人には「他の人(多数派)と同じでありたい」という性向が強いということでした。(あくまでも一般論ですので、全ての人に当てはまるわけでありません。)

 例えば、ファッション雑誌で紹介される「個性的なおしゃれ」。雑誌の中では、きれいな/カッコイイモデルさん達がスタイリッシュな服を着て、「個性的なおしゃれ」を披露しています。それに魅了された読者さん達は、その「個性的なおしゃれ」を真似し始めます。

 そうした結果、雑誌の中では「個性的なおしゃれ」として紹介されていても、それをみんなが真似し始めると一人一人は「個性的なおしゃれをしているんだ」と思っていても、逆にどんどん個性を失っていく結果になってしまいます。

 誰も着ていないような服を着飾れば、それが本当の「個性的なおしゃれ」ですが、個性的であるがゆえにかえって周りから浮いてしまいます。そのように考えてみると、日本人の「個性的なおしゃれ」の裏側にある、「周りの人達と同じでありたい」という別の性向が浮かび上がってきます。

 一方、メキシコはどうでしょうか?メキシコを含め、中南米の多くの国々はスペイン人植民者と先住民の血が混ざり合ってできたメスティーソ(混血)の国です。なので、顔立ちも肌の色も様々です。同じ兄弟の間でも肌の色や顔立ちが違っていたりします。

 そのように人の容姿が違う社会においては、日本のように「他の人(多数派)と同じでありたい」という考えは根付かないのかもしれません。むしろ、「違っていて当然」という感覚の方が強いように感じます。また、経済格差がはっきりしているために、貧困層の人達が富裕層の人達と同じ服を着ることは現実的に不可能なことです。

 ここに日本人がハゲるのを嫌がるもう一つの理由があります。つまり、僕も含め多くの日本人には、「他人(多数派)と同じでありたい」という性向が無意識のうちに働くために、ハゲることで周りから浮いてしまうことを恐れてしまうのだと思います。

 それら2つの違いがわかった時、それまでどんよりと重たかった気持ちに光が差し込んできました。

 結局、自分が「ハゲ」で悩んでいたのは、「日本」という小さな国でしか通用しない価値観で周りから見られ、僕自身も自分のことをその価値観だけで見ていたからなんだ。  
 

続きはこちら・・・
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by kohtaboy_gabihan | 2011-10-31 17:00 | 雑感/ 空想

ハゲを生きる ~前編~

 タイトルを見て、「んん??」と思われたかもしれません。今日は基地や原発とは全く関係ないことを書きます。

 突然ですが、僕はハゲています。笑福亭鶴瓶にも負けず劣らずのM字ハゲです。

 ハゲることはもともとわかっていました。なぜなら、父も祖父もハゲているからです。中学生になると、自分も父のようにハゲてしまうのが怖くて、父が使っていた育毛剤を密かに使ったこともありました。

 両親はそんな僕の心情を察して、「お前はお母さんに似て髪の量も多いし、髪の毛も太いから大丈夫だ。」と言ってくれました。僕はすっかりその言葉を信じて切って安心していました。

 しかし、ハゲの遺伝にはやはり勝てませんでした。二十歳を超えると、徐々に前髪が後退し始めました。「これはヤバい」と思っていたけれど、特に育毛剤を使ったりしませんでした。

 なぜなら、アートネーチャーに行ったり、様々な育毛剤を使ったけれど、結局ハゲに勝てず、坊主になった父の姿を小さい頃からずっと見ていたので、「自分も無理だろう」という諦めの気持ちがありましたし、それまでの短い人生経験の中で、「人間は見た目じゃなくて中身だ」ということを感じていたからでした。なので、自分の中で「ハゲ」を素直に受け止めて、ハゲなりに前向きに生きていこうと心に決めました。

 でも、現実はそんなに甘くありませんでした。ハゲていることで同い年の友達といても自分だけ年上に見られますし、ハゲていることで女の子から恋愛対象として見てもらえないんじゃないかという不安や引け目が常に付きまとうようになりました。

 その不安や引け目から逃れるために、髪を伸ばしたり帽子を被ったりして、できる限りハゲを隠していました。ハゲであることをプラスに変えて前向きに生きていこうと思っていましたが、結局できませんでしたし、ハゲている自分に自身が持てませんでした。

 でも、そんな自分の不安をよそに、ハゲは着実に進行していきました。沖縄にいた時に友人にこんなことを言われました。

 「このまま髪を伸ばしたり、帽子を被ったりしているとますますハゲになるから、一度坊主にした方がいいよ。そうすれば、髪の毛もまた伸びようとして元気になるから。」

 自分もハゲていることにずっと引け目を感じたり、悩んでいるのが嫌だったので、いっそのこと丸坊主にしようと思っていました。しかし、踏ん切りがつきませんでした。自分のハゲを大っぴらにすることで周りからどんな目で見られるのか、どんなことを言われるのかが怖かったのです。

 そんな葛藤に揺れていた去年の9月、突然メキシコ留学時代にお世話になったホストファミリーのおばあちゃんが亡くなったという訃報が入り、急遽メキシコに行くことになりました。そして、メキシコに飛び立つ前日、「よし!!この際だ!」ということで、思い切って丸坊主にしました。丸坊主になった自分の姿を見て、「やっぱ老けてみえるな~」とつくづく思い、メキシコの友達は僕の頭を見て一体何て言うのだろうと不安に思いながら、メキシコ行の飛行機に乗りました。

 そこから時間を一気に早送りして言うと、メキシコから日本に帰ってきた時、僕はハゲていることにほとんど引け目を感じなくなっていました。それはなぜか?

 僕が2年半ぶりにメキシコの地に足を踏み入れ、現地の友達と再会した時、「ついにハゲちゃったんだね」とか「育毛剤使った方がいいよ」など、僕のハゲのことについて言う人は誰もいませんでした。みんな前回留学していた時と同じように接してくれましたし、3ヶ月の滞在中、誰の口からも僕のハゲに関する言葉は出てきませんでした。

 また、日本人を含めアジアの人は、メキシコの人達に比べると顔の彫が深くないので、ハゲていても実際の年齢よく若く見られましたし、女の子にもモテました(自分の勘違い!?)。そんなこんなでメキシコに行く前の自分の不安はどこへやら、メキシコに着いてからは自分がハゲていることに悩んでいるヒマもない程でした。

 そんな居心地良さを身に纏いながら日本に帰ってきたのですが、再び厳しい現実が襲いかかってきました。

 坊主になった僕の頭を見て、「ついにお父さんに似ちゃったね」とか「そろそろ育毛剤使った方がいいんじゃない?」というようなことを親戚・友人を含め、あらゆる人から言われました。誰も悪気があって言ってるわけではないことはわかっているのですが、ずっと同じことを言われ続けていると、さすがに堪えてきます。再び自分に自信がなくなってきて、だんだんと人前に出るのが嫌になってきました。

 そんな時、ずっとこんな疑問が頭から離れませんでした。

 「なんで、メキシコと日本でこんなにも「ハゲ」に対する見方が違うんだろうか?」

 そして、自分なりに考え続けた結果、2つのことがわかりました。


 後編へ続く…

 

 

 
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by kohtaboy_gabihan | 2011-10-24 15:34 | 雑感/ 空想

7ヶ月後の「復興」

 先々週、長野県の観光会社が企画している被災地復興支援ボランティアツアーに初めて参加してきました。今回僕らが行ったところは、宮城県の仙台市から海に向かって約30分ほどのところにある、「七ヶ浜(しちがはま)」という人口2万人ほどの町でした。

 3月11日の大地震と大津波から半年以上が経過していたので、すでに瓦礫などは撤去され、復興に向けて動いているのだろうと勝手に思い込んでいました。しかし、被災地に近づくにつれ、屋根がビニールシートで覆われた家が高速道路からもたくさん見え、さらに高速を下りて、七ヶ浜町に隣接している多賀城市に入ると、津波でボロボロになった建物が当時のまま残っていたり、人が住んでいる家であっても、津波で浸水した時についたラインがまだくっきりと残っていました。

 そして、七ヶ浜町に入ると、家屋や何台もの車が農地に横たわっていたり、津波に流されずに残った家であっても内部はボロボロの状態でした。そして、無数の瓦礫が至る所に散らばっていました。
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(漁港の岸壁も津波によって壊れていました)
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(海岸にもたくさんの瓦礫が残っています)

 七ヶ浜に着いてから最初の2日間は、個人宅跡地の瓦礫撤去をツアー参加者全員で行いました。家は漁港のすぐそばにあったため、その地区に並んでいた家々は数軒を残して跡形もなく、なくなっていました。七ヶ浜を訪れたのはこの時が初めてだったので、その地区の風景がかつてどうだったのか全く想像できませんでした。

 瓦礫撤去をした所は家の跡地だったので、見た感じは何もないただの平地でした。しかし、スコップを使って土を掘り起こしてみると、ガラスや瓦や陶器など様々なものが出てきました。それらを分別して袋に入れていくのですが、とても地道な作業でした。僕らが来るまでは他の団体の方々がやっていたので、大人30人近くでやっても、数日かかってようやく家一軒分の土地が元通りになるという作業でした。

 作業完了後は敷地の隅に花壇を作り、そこにみんなでなでしこの種を植えました。もちろん、今年W杯で優勝を遂げたなでしこジャパンにあやかって。来年の夏ごろに花を咲かせるそうです。七ヶ浜を輝かす花が咲きますように…
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 今回参加した2泊3日のボランティアツアーの最終日の作業は、道路造成でした。作業場所は浜に沿って並んでいた松林の中でした。ボランティアセンターの方の話によると、七ヶ浜でも10メートルを超す津波が押し寄せたそうですが、松林はかろうじて残っていました。しかし、松林を隔てた先の住宅街は全て津波で押し流されていました。
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(浜には船が横たわっていました。別の浜には貨物船のコンテナがいくつも打ち上げられたままでした。)
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(津波で生き残った松林。その向こうには家があったそうですが、今あるのは瓦礫の山。)
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 その松林の中に瓦礫の分別を効率化するための集積場を造るということで、地ならしされた道の上に砂利を敷いていきました。最初の2日間の瓦礫撤去に比べると肉体的に疲れる作業でしたが、休憩を挟みながら、順調に作業を行うことが出来ました。そして最後に、参加者全員で海に向かって黙祷を捧げ、大震災で犠牲になった方々の鎮魂を祈りました。
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 今回は2泊3日のツアーということであっという間に終わってしまいましたが、その短い期間でもたくさんのことを経験し、感じることができました。

 その中でも一番痛切に感じたことは、「復興」の道のりは想像以上に長く、険しいんだということでした。家一軒分の土地を元通りにするだけでも、大人が数十人で一斉に取り掛かって数日かかってしまうのに、まだ手つかずの家が七ヶ浜だけでもたくさんあります。 しかも、車や家が横たわったままの農地を元通りにするには、どれほどの人手と時間が必要になるのでしょう?それを想像しただけでも、気が滅入ってしまいます。

 被災していない場所では、「復興に向けてがんばろう!」とか簡単に言ってしまいますが、復興に向かってがんばることがいかに大変なことなのか、実際に七ヶ浜に行ってみて身にしみて感じましたし、「復興」という言葉を簡単に使っていたこれまでの自分を反省する機会にもなりました。

 けれど、現場には「復興」を目指して一歩一歩がんばっている人達の姿がありました。震災から半年が過ぎボランティアに参加される方も少なくなってきているようですが、そうした状況にあっても、めげずに「復興」を信じて動く人達がいました。

 被災地の外では、徐々に震災前の状態に戻りつつあるかもしれません。しかし、被災地はまだまだ傷が癒えずにもがいています。原発の放射能に苦しめられている福島の人達は、さらに苦しい状況にいます。

 今回参加したツアーの添乗員さんが言っていたことが頭の隅に残っています。

 「「誰かがやってくれる」ではなく、「自分がやらねば」と思わなければ、復興は進みません」。

 まだまだボランティアの力が必要です。興味のある方は、ぜひ一度ご参加を。

※下記のサイトでボランティアツアーなど探せます↓↓
 マガジン9条 「東日本大震災。いま私たちのできること。」
 URL:  http://www.magazine9.jp/other/3_11/index1
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by kohtaboy_gabihan | 2011-10-14 18:18