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みなさん、はじめまして。
僕は、辺野古での米軍新基地建設に反対し、現地で反対活動を行っている人達に交じって、テント村で座り込みをしています。僕は、沖縄県人ではなく、沖縄の言葉(うちなーぐち)で言うところの、大和人(やまとんちゅ)です。まだ沖縄に来てから、1ヶ月程です。 まず、ブログを開設するにあたって、なぜ辺野古や高江の米軍基地建設問題に関するブログを作ろうと思ったかを書きたいと思います。 僕が辺野古の基地問題を知ったのは、大学時代の2004年頃です。当時大学で沖縄関係の講義を受けていて、その中で沖縄で新しく基地が建設されようとしていることを知りましたが、その時は特に深い関心を抱かずにいました。 その後、沖縄やアイヌ、在日朝鮮人について研究するゼミに入り、2006年の夏にゼミ旅行で初めて沖縄を訪れ、辺野古にも行きました。その時は、反対活動は緊迫した状況にはなく、穏やかな時期でしたが、現地の人に基地建設問題について説明してもらい、実際にフェンス越しに米軍基地を見て深く関心をもち、それから本土に帰っても、ブログで辺野古の状況を頻繁にチェックするようになりました。 ブログを見ている間にも、反対行動が緊迫した状況になった時期が何度もあり、実際に現地に行かなければと思いましたが、結局、現地に行くことはできず、ブログ越しに祈ることしかできませんでした。 そうしているうちに、だんだんと辺野古へ行って反対活動に関わりたいという気持ちが湧いてきましたが、これは沖縄だけで動いていても解決できることではないから、まず自分が住んでいる地域で何か行動を起こさなければいけないのではないかと思うようになりました。 街頭でプラカードを持ちながら訴えるとか、署名活動をするとか何かしらの方法はあったはずですが、結局、一人で行動する勇気がなく、日々の生活に流されて、何もできませんでした。 そして最終的に、思い切って辺野古に行って、現地の反対活動に関わってみようと決意しました。最初は行く気満々でしたが、実際に現地に近づくにつれ、「まず自分の住んでるところで、何か行動をしてから来い」とか、「基地問題についてちゃんと勉強してから来なさい」と言われて、追い返されてしまうのではないかという不安な気持ちが強くなり、テント村に着いた時は、内心かなりビクビクしていました。 しかし、テント村の人達はみなさん、僕をとても快く受け入れてくれ、それまでの不安は一気に吹き飛び、ホッとしました。 それからは名護市に住みながら、できるだけテント村の座り込みに参加しています。テント村では、いろんな人たちから辺野古の反対活動の話を聞き、今まで基地を作らせないように、命をかけて、どれだけ必死に闘ってきたのかを知り、とても驚くとともに、深く感動しました。日々、県内外からいろんな人たちが訪れるので、辺野古以外の話も聞け、非常に勉強になります。辺野古での座り込み以外にも、ヘリパッドが作られようとしている高江や埋め立て工事が行われている泡瀬干潟、県庁、名護市議会にも行き、様々な角度から沖縄の基地問題について考えることができました。 そして、徐々に、「この辺野古と高江の基地建設をめぐる問題を本土の人達にも知ってもらわなければいけない。これは、沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題だ」と思うようになり、ブログを開こうと考えました。 しかし、今までブログをやったことはないし、日中は辺野古で座り込み、夜はバイトという生活を送っているから、頻繁に更新することは難しいなぁと思い、ブログを作ろうか躊躇していました。 それで、今回ブログを開こうと決心したきっかけは、つい先日、辺野古のテント村で企画された平和ツアーでした。6月23日の沖縄戦終戦の慰霊の日が近いということで、南部の慰霊塔をめぐり、そこに書かれた碑文を読み解きながら、沖縄戦について勉強するというものでした。そして、最後に平和祈念公園にある平和の礎に行き、そこで慰霊をしている遺族のそばに行って、亡くなった人のことなどについて聞き取りをし、遺族の方々がどのような気持ちで慰霊をしているのかを知るということをしました。 遺族の人に沖縄戦で亡くしてしまった親族のことについて聞くということに、かなりためらいの気持ちがありましたが、思い切って聞いてみました。最初は、亡くなった方の名前を探しているおばあさんのそばに行き、一緒に名前を探すのを手伝いました。そのおばあさんは、兄を沖縄戦で亡くしたそうで、名前を見つけると、震える手で、石に刻まれた名前をさすり、お祈りをしていました。その光景を目の前で見て、のどが詰まり、何とも言えない気持ちになりました。そのおばあさんは、祈ってすぐに立ち去ってしまい、話を聞くことができなかったので、今度は孫を連れて慰霊にきていたおばあさんに話しかけてみました。 そのおばあさんは、祖父母を亡くし、車いすに座ってお祈りをしていました。そのおばあさんとは、少し話ができましたが、途中会話が途切れ、おばあさんが少し手を震わせながら、戦争で亡くした祖父母の名前をずっと見つめていた時の沈黙が、僕はとても辛かったです。おばあさんは、戦争が終わってから64年間、片時も忘れることなく、毎年祖父母に対してお祈りをし、あの地獄のような戦争のことを思い出しているんだと思ったとき、本当に深い悲しみに襲われ、そのおばあさんにどう話しかけていいのか全くわかりませんでした。やはり、生で感じる遺族の悲しみがどれだけ深いものなのか痛感させられました。 その遺族の人達の悲しみを感じた時、ブログを開かなきゃいけないと強く思いました。そして、今日は64年目の慰霊の日です。64年も経っているのに、未だに戦争はなくなりません。それどころか、辺野古の海に新しい基地が作られようとしています。 戦争がこの世からなくなるように、そして遺族の人達の悲しみを無駄にさせないためにも、このブログを通して、一人でも多くの人に辺野古と高江の基地建設問題のことを知ってもらい、新基地建設を中止させたいと思います。
by kohtaboy_gabihan
| 2009-06-23 22:34
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