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施設局は、何度も予告なしに辺野古へやってきて、基地建設を着工しようとしました。漁港手前での話し合い(説得)は毎回長時間に及びました。施設局は5ヵ月の間に32回来ましたが、座り込みによって全て押し返しました。この間、辺野古近くまで機動隊がやってきて、待機していたこともありました。テント村の人たちは、毎日朝5時頃から座り込みを始め、毎回話し合いが終わるたび、安堵すると同時に、次は機動隊が投入されるかもしれないというプレッシャーを感じていました。
辺野古で座り込みが続く中、2004年8月13日、宜野湾市にある普天間基地の米軍ヘリが、沖縄国際大学構内に墜落炎上するという大事件が起きました。「こんな危険な基地は即時閉鎖せよ」との世論が盛り上がるのに対して、日本政府は「危険な普天間基地は早く辺野古に移設する」と県民を愚弄し、道理に合わない理屈をもって、辺野古新基地建設を急がせたのです。しかし、この米軍ヘリ墜落事件のことは、同じ時期にアテネオリンピックが開催されていたために、本土ではほとんど報道されず、本土に住む多くの人が知らぬまま、新基地建設の準備が進められていったのです。 米軍ヘリ墜落事件から半月後の2004年9月9日、施設局は基地建設の強行を発表しました。それに対して、日本全国から400人を超える人たちが、基地建設を阻止するために座り込みテントに結集しました。 しかしながら、施設局は400人以上が座り込む辺野古漁港へ強行突入せず、米軍基地キャンプシュワブの浜から出航し、辺野古海上で作業を開始しました。この日からカヌーや船、海への飛び込みによる、完全非暴力による基地建設海上阻止行動が始まったのです。 連日必死に阻止行動を展開しましたが、施設局の暴力的な建設作業によって、2004年11月下旬、海上に基地建設のためのボーリング工事用の単管やぐらを4つ建てられてしまいました。やぐらは、縦横4m、海面からの高さが5~6mにのぼるものでした。それからは毎日やぐらの上で必死に抵抗し、ボーリング工事を止め続けました。 2004年11月16日、沖合のボーリング工事を強行するため、施設局の大型機重船が辺野古の海に現れました。しかし、カヌーや船、海に飛び込んだ人たちによって、それを追い返しました。 その後11月20日には、施設局がスパット台船(海上でボーリング工事をするための大型船)の設置を強行しますが、海底に鉄杭を下ろして設置するため、大きなサンゴ礁破壊を及ぼすことになります。サンゴ礁の破壊は国内外の批判にさらされ、結局、台船は引き揚げていきました。スパット台船はその後2回にわたって設置されようとしますが、いずれも阻止しました。 2004年12月、単管やぐらにおける攻防が激しくなりました。海上阻止行動をする人たちの中には、施設局の暴力行為によって、病院に搬送される人も出るようになりました。 そうした状況を知った近隣の海人〔ウミンチュ〕(漁師)たちは、辺野古の海、沖縄の海を守るために、海上阻止行動に加わりました。この海人の参加によって、阻止行動は大きく好転していったのです。 part 4に続く・・・ 辺野古の浜から見る米軍基地キャンプシュワブ
by kohtaboy_gabihan
| 2009-07-04 13:52
| 辺野古新基地建設問題
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