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辺野古のテント村には、沖縄各地からおじい、おばあ達が定期的にやってきて、一緒に座り込みに参加しています。
昨日は、月に1度来られる、うるま市のおばあ達がやってきて、戦争中サイパンにいたというおばあの話を聞きました。 昔、沖縄からは多くの人が出稼ぎのために海外へ渡りました。そして、サイパンにも多くのウチナーンチュ(沖縄人)が移り住み、製糖工場で働いていたそうです。 当時、サイパンには大きな製糖工場があり、そこで働いていた人達はそれなりに裕福な生活ができていたそうです。 しかし、戦争の足音が近くなってくると、日本軍がやってきて、「大日本帝国を守る」という大義のもと、軍事基地を次々と造っていったそうです。 そして、いざ戦争が始まると、サイパンは日本軍の基地があるために、集中的に狙われ、「爆弾が雨のように降ってきた」、と言っていました。 食べるものも飲むものもなくなり、人々はさとうきびをかじって、飢えをしのいでいたそうです。しかし、それを知ったアメリカ軍は、さとうきびを燃やし始め、さらに苦しい思いをさせられたと、おばあは語っていました。 昼間は出歩けないから防空壕に身を隠し、夜、外に出て飲み水を探していたそうです。泥水でしたが、それでも飲めるだけましだと思い、泥をよけて飲んでいたそうです。しかし、明るい時にその場所を訪れてみたら、そこには多くの死体が転がっていた、と言っていました。 また、山に登って、そこから海を眺めたら、アメリカ軍の艦船が海を埋め尽くすほどあった、という話も聞きました。 しかし、日本軍が戦争に負けたという話を聞いた後も、誰も日本軍が負けたのだと信じることはできなかったそうです。それだけ日本軍は強い軍隊だと思い込まされていたんだ、と言っていました。 辺野古のきれいな海を眺めながら、おばあの話を聞いていると、「ほんとにそんなことがあったのか」、と思ってしまいますが、そうした戦争が、沖縄で訓練を積んだ兵士によって、他の国で今も行われていることを思うと、「やっぱり、基地はいらない!」と、強く感じます。 そのおばあは、「サイパンは軍事基地があったから狙われたさー。だから、辺野古の基地建設にも反対するわけさー」と、辺野古の海を見つめながら言っていました。 戦争を経験した世代の人達はだんだん少なくなっていますが、だからこそ、おじい、おばあの戦争体験の話を後世にしっかりと伝えて、戦争を知らない自分達が、戦争の実態を「想像力」で知るようにしなければ、戦争をなくしていくことは非常に難しいと、おばあの話を聞いて思いました。 毎月座り込みに参加してくれるおばあたち
by kohtaboy_gabihan
| 2010-01-08 22:00
| ウチナーとヤマト
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